金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

迦陵頻伽の夢


迦陵頻伽という仏教神話に出てくる鳥の夢。
鳥が木の上で鳴いている。あの鳥は?というと誰かがあれが迦陵頻伽だという。[ああ、あれが?」と思う・・・
仏典では半分天人で翼があり、下半身鳥の姿だけど、夢の中では奇麗な五色の鳥の姿でした。

そしてあの歌っているのは
「生き物第一の目的は生きること
生き物第一の意義は生きること
生き物第一の大事は生きること
生き物第一の仕事は生きること
ほかにない」という意味の歌なのだと教えてもらう夢。

そう、迦陵頻伽はただそこにいて存在することを賛歌としてさえずっているのです。

思うに大乗ということは皆、仏の掌に載っているということだなと思っています。そう思えばそこにすべてがある。

それじゃいけないんだ。
もっと、もっと前に進まないといけないとか・・・なんとかいうところに実は煩悩も悪業も生じてくる。

地球をこんなにしてしまったのも元はと言えば我々の「よりよくいきたい」という欲求の結果にかわりない。悪意はなかったのにね。
でも進歩とは何かを考えずに「進歩とは快適と速さ」で来てこうなった。

快適も慣れれば快適にゃなくなる。当たり前。
暑い日にクーラーがなければ不満が出る、うちわや扇風機はもうお呼びじゃない。
速さも慣れれば快適と思わない。当たり前。快適の追及に終わりはない・
しまいには気候変動装置でも作っていつも三月花の頃?
新幹線で大阪に往復は当然。それじゃ余裕がないからリニアモーターカーだ。
速さの追及にも終わりはない。しまいにはワープか?

そりゃあ私だって快適も早さも嫌いじゃないですよ。
エアコンも新幹線もいいけどね・・・
そのままを嫌う。ただ生きていては意味がないと思う存在。進歩しないと軽蔑されると思う存在。
どこまでも前に進まないといけない動物である我々「人間」の行きつく究極って何だろう?