金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

明日、地球が滅んでも…

この間、ゴジラのアニメを見て思ったこと。

ここには三つの宗教的立場が出てくる。

エクシフという人類とともに戦う宇宙人。この宇宙人は人種として独自の宗教を持っている。

対するに人類、エクシフ同様それと共闘するビルサルドという宇宙人。この二種族は宗教観というものは見えない。ビルサルドに至っては宗教を朝笑う風さえある。

彼らの共通の敵がゴジラ
人類とその助っ人だった二種類の宇宙人はゴジラのために住んでいられなくなり二万年間も地球から退去し、宇宙船で宇宙を放浪する羽目になったという設定。

もうひとつはいまや、地球の原住民でフツアという昆虫遺伝子を持つ人類。ゴジラで荒廃した地球に残っていた人類の子孫。巨大な蛾であるモスラを神としてあがめる原始宗教的存在。

エクシフはゲマトリア演算という類のない高度な数学的技法を持ち、科学的にも極めて発達した種族だが、科学の果てに神を見出したといいます。
いわば理論構築としての神が証明されたということでしょうか。
その教義は高度な理論に裏打ちされた一種の滅侭思想です。
宇宙は発展しては究極には消滅していくという考え。それは予定されたことであり、いってみれば預言です。
いわば死の礼賛が見える。

かたやフツアは自分たちの勝ち負けを生死で決める民族。
形はどうあれ死ねば負け、生きのこれば勝ち。だから戦いに勝つための犠牲などは払わない。
ゴジラと戦うこと自体負けだと考えている彼らはエクシフや人類、ビルサルドと共闘では戦わない。ゴジラと共存し、いわば生きていくことがなにより大切という生への礼賛がある。

形として明確な宗教らしい宗教なのはエクシフの宗教。どうしてもゴジラに勝てず万策尽きた人々は次々とこの宗教に傾倒する。
・・・それに強い不信感を持つ主人公。
まあ、最も宗教らしい宗教ですね。
この映画初めは「宗教は危ないぞ。人類の英知万歳!科学こそ万歳!」的なメッセージの唯物論的アニメなのかもと思ったけど・・・

でも、そうではないな・・・と思うのはフツアとその神であるモスラの存在。

彼らは巨大な昆虫を神とあがめ、きわめて原始信仰的だけど難しい教義ではなく、生きていくという生活に裏打ちされた宗教。
まあ、お天道様やお月さま、海や山に対する信仰、自然崇拝。
宗教を前者とふたつに分けるなら修験道はこっちかなと思う。

修験道では大昔から権現さまのお告げもあれば、寄り代加持もあるけどそこで出されるメッセージはドグマ的なものは一切ない。
作物がどうの、漁獲高がどうのという生活本位の話が語られ、メッセージがよければ感謝して喜び、悪いときは祈るというスタイルで何百年も来ている。似たような宗教は世界中にある。
特に特殊な実践行動には出ない。
見落としてはいけない大事なことは宗教的なことはあくまで宗教の中で完結していくというそのスタイル。

実践行動に出てハルマゲドンに備えて武器弾薬を集めるとか、大災害が来るので逃げろとかそういうのはない。
予言や終末思想には未曽有のことが起きてそのためどうすべきが語られる。そういう宗教とは違うのです。

歴史の中ではそういう予言に対する信仰は一時は熱烈なファナティズムとなって燃え上がり、老若男女問わず隆盛し、そしてほとんど失敗して消える。ヒットラーのナチズムもゲルマン民族が世界を支配するという一種の予言が背景にあった。
予言ではないが新宗教の多くもそういう風にして成り立つケースがみられる。

だから私は予言的宗教は一切信じないのです。予言は予言で宗教ではない。
どう勘違いしたか、昔はそういう予言を求めてくる人もいたが、「そんなことは宗教に関係ない」という私の態度に失望して去りました。
勿論特異な能力の人が未来を予知できるということ自体は決して頭から否定するものではありません。そういうこともあり、そう言う人もいるかもしれない。
でも明日、地球が滅ぶとしても、人としてのありようが変わらないのが本当の宗教ではないでしょうか。私はそう思います。