金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

サンタは仏教にはいりません。


早いもので来月は12月、じきにクリスマスですね。

プレゼント好きな信者さん。モノをあげるのが大好き。
私にも色々くれる。勿論善意です。
だけどしまいにもう何もくれないで。といった。
際限なくくれるから・・・断った。

それでこれはいつかよくないことに…と思うのできつく注意した。ものもらって注意するのは失礼なのですが大事なこと。ものもってくるならもう破門とまで言った。もらったものをそのまま本人のいる前で即、別な人にあげるまでした。
でもわからない。方々でプレゼントして方々で評判落としてる。あげればあげるほど。

信者さんがみな使うもの座布団とかスリッパはとかは嬉しい。本尊さんにももちろんオーケー。
でも個人レベルは中元や歳暮の時候の事でもないなら受け取りませんといった。

それで私には辞めて今度は周囲の人に對して同じことしていった。

それってでも・・・負担なんだよね。
しまいには高価なものほど「いらないからくれた」と思うもの。
だってもらうようなことしてなければ普通そう思うのが当たり前。
かといって安価なものだと捨てる代わりにくれたんだとさえ思う。
あるいは何かたくらんでいるとかおべっか使いとか色々・・・ああいう病気とさえ言われる。

大事なこと!
それはものを上げるにはまずあなたはこれをもらっていただくのにふさわしという前提作りからしないと変なものになるんです。
いつも○○してくれてありがとうとか・・・こういうことで感謝していますというのであげる。
理由や大義名分がいるんです。
それをしないで済むのは犬猫や幼児だけ、可愛がるという行為。
その行為自体が上から目線です。
だから理由なくもあげるというのは人に恥をかかしているんですね。この人はそこが全くわかっていない。

だからあげれば上げるほど嫌われる。なんのつもりだといわれる。
人はそう言うもの。
人付き合いは人の鬼の顔を出させずにするもの。
鬼の顔のない人間なんていない。
私だってそういう鬼の顔あります。(知ってるって?)
ひどいようだけど・・・それが人間の当たり前。

逆にいつまでもただでもらって喜んでる人なんてソイツは常識のないヒモみたいな人だけです。
むしろ純粋に物のみを喜べばそうなる。乞食根性だね。

普通の方はくださるという「心」を喜ぶんです。物は二の次
いらなくても頂けば喜ぶのが普通常識。
それなのにますますあげちゃう。
この人はそこはき違えている。アホです。

からしまいに人の本心までみせられて愕然とする。
いわんこっちゃない。
昨日コンコンと言いました
サンタクロースは仏教にいりませんから・・・(笑)
どうせするなら社会奉仕した方がいいよね。個人じゃなく。