金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

ご祈祷はサーヴィスに非ず

現代はサーヴィスの世の中ですね。
お金さえ出せば素晴らしい品々。海の遠くの見たことのないようなものもとり寄せられます。

でもお金で買えないものもたくさんあります。
億万長者でも命は買えない。
あらゆる治療法や治療器具、臓器、医療行為は買えても助からないときは来ます。
人の心も買えない、どんなお金持ちでも理想の結婚をしているかといえばそうと限らない。家族がいがみ合っている家も多い。
安全も買えない。家にセキュリティシステムや自分に屈強なボディガードつけても天変地異までがどうにもなりません。
大規模な地震津波。火山爆発、山火事、台風、伝染病などにはかないません。

そして神仏のご利益も買えません。
もちろん、お金を出せば個人で採燈護摩でも千僧供養でもできるでしょうが、そうすれば必ず結果はでるとかぎりません。
昔の権力者はそれこそお金にものを言わせて一山総出仕で祈祷させました。
秀吉の第一子などの病気もそうですが結果亡くなってしまった。
出来ることはすべてしたいのは親心でしょう。
でもなんでもできると限りません。

お金出せばご利益が買えると云うのは間違いですね。
お金出して大祈祷しても結果が出ないときは出ない。
勿論祈祷が効果がないとは思いません。勿論そう思いませんが・・・
でも絶対じゃない。
聖天さまでも自分で信仰し、読経や真言を唱えても駄目で、行を積んだ僧侶が浴油してくれればやれば絶対というわけではない。もちろんそのほうがより質がより高いとは言えます。

然し。ネットで何か買うみたいにご利益が届くわけじゃない。
困るのは自分で信仰しないで手も遭わさず。祈祷をサーヴィスだと思っている人がいることです。
自分の信仰が基本です。
いわば、ご祈祷はその延長線上でしかないのにね。

それは貴方の信仰を助けるものでしかない。
自分は受けるのみのサーヴィスなんかではない。
そこがわからないと、結果は出ない。文句タラタラになる。
金出しておまいりにも来ない、家でも拝まないで電話一本、「ああ、一番いいヤツ、しといて!」というような人はお金で買えるもの、買えないものを知らない愚か者です。
どんなお金持ちであってもそういう人は人としてすぐれた人物ではない。
人としての教養は慎みや畏れとともにある。
だから私は基本的にそういうお金持ちは苦手です。
なんでもしたいようにしてきたからそうなんだろうね。
私個人にもドドンとサーヴィスしてくる人も世の中にはあるけど、だからといって、そういう方の祈祷だけ特別にたつみあがりになって力入れて祈ることなんかない。

人の情としてそうするだろうと思うのだろうけど、壇のうえの祈りの世界ではそういう情は妨げにしかならない。
私の受けた個人の義理と恩は関係ない。そういう感情は捨てないと神仏とアクセスできない。
そういうのもちこんでもどうにかなるわけじゃないんですね。
気の毒だから拝んで差し上げたい・・・までは人間です。
なんとかしてあげたい!
もちろんのそのレヴェルまではある。

だがひとたび壇に登ったらそういう思いはない。平等に仏とアクセスする。
ただ、弘法大師の言う「六大無碍にして常住瑜伽」の世界には入らんとするのみ。これ以外に他に心にかかること、心を苦しめるものはことごとく排除しないといけません。

密教祈祷は必死に哀願すれば神仏が「ああ、それは気の毒だ」と知ってなんかしてくれるわけじゃない。
それは常に流れてやまない大悲の恩恵にたどりつき沐浴するようなもの。触れればいい。そのためにアンテナを張り、一念を凝らす。
泣きついたり、くどくど心情を述べたりしても無駄な世界です。
むしろ、能動ではなくこちらが仏のこころを知ろうとする受動の世界がそこにはある。

ゆえに私は冗談でよく「冥府魔道」を生きてますという。
普通の人間の感情はその場にはもちこまない。
如来の慈悲というのは私個人の恩情にこたえたいというレヴェルのこととは関係ないのです。
もっとグローバルなもの。だから私は自分の親の健康も、信徒様の健康も祈願で祈っていますがそこに差別はない。
私に差別があっても持ち込めない世界です。彼此平等。

そんなこと思って私がしたって結果でないです。ご利益とは関係ない。
だからそこを期待して私になんかしてくれるならそれは無駄金やね。

だからうちは授戒したりしてハードル作る。自分で祈りに参入しない人は祈祷の枠にはいれない。
「え、講員にならないとダメですか…(そんなの面倒だし何とかならないの~?)」
という方には「いいえ、当院はそうなっているだけですから、聖天様なら他のお寺でもしてますよ。たとえば○○の聖天とか○○聖天とか・・・、昔から有名ですよ。」つまり、よそに行ってもらったほうがいいという意味のことを言っている。
別に我慢して授戒うけてイヤイヤ講員になってもらう気なんかさらさらありません。