金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

霊能と法


法華系新宗教立正佼成会」の創立者庭野日敬さんという方がいました。
この方の法華経講義の本などは若い頃わりあい読みました。
とてもわかりやすいですね。
立正佼成会さんは法華教団の中では比較的通仏教的で比叡山にもよく参拝に来られました。
新宗教連盟の会長もされた方で他宗教の方ながらやはり大変に人徳のある宗教家なのだと思います。

私は天台僧ですので日蓮宗的な法華信仰の庭野さんとは信仰のありかたは基本が違いますが、庭野さんの仏法へのありかたは勉強というか参考になることはいろいろありました。

そのなかで庭野日敬さんと長沼妙校正さんとの対決のような話が面白い。
長沼さんは女性霊能者です。
霊友会の小谷キミさんもそうですが、このころの新宗教の在り方は布教に熱心な男性と霊能者の女性というコンビが結構多かった。
小さな教団でもそうです。
まあ江戸時代で言う山伏と巫女さんの夫婦コンビです。
庭野さんと長沼さんもいわばそういった名コンビ、二人で霊友会を出て立正佼成会を立ち上げたんです。

昔の新宗教の成立にはこういう霊能者の存在は欠かせない。
理論だけじゃ宗教にならんのです。
長沼妙校さんはけっこうな霊能者だったそうです。
そのころの佼成会は長沼妙校さんの霊感で半分は動かしていたようです。
お告げの取り方も半端じゃない。何日も前から精進潔斎、寒中でも水をかぶってお告げを執る。修験者なみです。

こんな話がある。毎回霊能でコメントするテレビの霊能者を見て信者が長沼さんに「この人は本当に神さんおりるんでしょうか?」と聞いた。
そういうと長沼さんは「神様の真似だけしてるんですね。」と笑ったという。

佼成会は本尊も毘沙門天だの大日如来だのと色々変遷する。これも長沼さんのお告げの結果でしょう。

それでそんな長沼さんのお告げでしまいに「庭野は信仰に挺身するため、妻と離縁しなさい。」というのがあったらしい。

そうしたら庭野さんはこのお告げを蹴りました。
「私は既に信仰に身をささげている。いまさら離縁なんか必要ない」と。
神様が「そうせねば命はなくなる」といいましたが、庭野さんは「命など惜しくはない。理に合わないことは従わない。」と毅然としてけっとばした。

私は佼成会のシンパじゃないけどこの庭野さんの態度は大したもんだと思った。
庭野さんはさすがに仏教の何たるかを知っていたのでしょうね。
ここで蹴らなければ佼成会は仏教教団というより教理から遊離しお告げ系宗教の部類になっていったでしょう。
そうしたら長沼さんが亡くなれば教団はそれでおしまいです。
仏法は法であって根本はそのようなお告げで動いているわけじゃない。
仏法においてはお告げはそういう人の在り方をうんぬんするものとは違う。
在り方は法にある。

密教でも阿毘捨といって霊媒祈祷はあるけどそれはお告げではなく。問題解決の補助です。
このへんは手放しで感心した。
逆にいくら優れた霊能者であろうが徹頭徹尾お告げで舵取りすると教団はしまいに魔が入って大概ダメになるものです。だからお告げで行くなら世間的な欲はすべて捨てる前提が必要です。昔の本物の巫女はそうでした。
一生独身でわたくしごとで宮居を出ない限られた生活です。
そうでないと人や物を欲で支配するおそれが免れないから。

魔とは天魔ばかりでなく、霊能者の煩悩魔でもある。
すぐれた霊能者もやはり人だからね。
こう言っては失礼だが長沼さんがコンビの庭野さんに離婚を促すお告げをしたのはどこかに庭野夫人に対する嫉妬のようなものがあったのかも。
(俗物の邪推かもしれませんが・・・長沼さんごめんなさい。)

古来そうした間違いをしないため、密教修験道では加持付けする行者と依り代は別であり、神道などでは審神者がある。優れた在り方だと思いますね。