金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

関所


深い業があるから行をして取りたいと思うのは、もっとも。
だが行の後。逆にドーンと大きな業が出るのはむしろよくあることです。
でも業が出るのはそれも答え。
それでもうおしまいの時すらある。
それが行の世界の「関所」というもの。

四国参りでもお関所と言ってどうしても進めないところが何箇所かある。
自分ではわずかなことと思っていた過ちが火を噴いてたちまち大火になる。すべて灰燼に帰する。

今までの努力が水の泡。もはやこれまでです。
今回はもう無理、ここまでということ。
あるいは今世ではもうチャンスはない。無理ということ。

だから出直しも必要。関所の正体こそ自分の悪しき習気(じっけ)つまり今もって修正しない悪い癖です。
それが出ておしまいになる。一番多いのは癇癪ですね。
癇癪起こして一朝にしてすべてなくなるも人間なんて何度も見てきた。
癇癪の正体は秘められたる瞋り。
その皮を一枚はげば今度は被害者でいつづける利得に味を占めた偽りの弱者の顔が出て来る。
いつも責められるべきは他人。自分は被害者でいて正しい人間の顔でいられる。実はその顔で何度でも復讐を考える。
終わりなき復讐。どこかの国とおんなじ。

しっかりとした行を満行したら長期の変性意識状態からそんな習気が必ず浮いて出る。
行はやれば終わりじゃない。行の後こそ本当の正念場です。
この浮かび出た体内に巣くう習気を抜いてこそはじめて合格なのです。行終われば終わりだと思う奴は大概ダメになる。
辛い思いを頑張ったというだけのつまらない話、人間が変わってこないからわかる。
100日のダイエット終わって御菓子食いまくりみたいなもの、(笑)
だからね、行はやれば終わりじゃないんだ。ホントの目的はほかにある。

こういうふうだから関所でも、何も学ばないならそこは何度でも出直し、永遠に関所のままです。そのたびに関所の敷居は高くなり終に超えられなくなる。

行は外科手術とおなじ。
失敗はすまされない世界なんですね。甘くないですよ・・・