然し何回か催してのち、やめになった。
何故なら感謝がいつの間にか自分の手柄や自慢話に成ったり、他の話になってしまう。感謝自体はどこへやら。
死ぬような病気が治った霊験もしまいにどこそこの病院がいいとかいう話になったり、経営の持ち直しも自分が危機においていかに采配をふるったかという自慢話になる。
確かに病院もよかったんでしょうね。
ご自分も頑張った。そうでしょう。嘘じゃない。
でも、この場は聖天様に感謝を述べる場なんですね。
他の話ではないんです。
これがご無礼になるのは人に世話になった礼に行って自分やほかの要因のお話をしてしまうのと同じ間違い。
大いに無礼なり!!
結果聖天様のお怒りに触れる。そのあと全部だめになったりする。
そういうことだから止めたのさ…と師匠はいわれました。
でも今でもどこでもそういうアホいますね。
勿論物事が単一の原因でなるわけではない、それはそうでしょう。
しかし、感謝の席ではそこへの感謝に徹する。
あなたのお陰ですというでしょう。
御礼に行ってあなたのお陰もあるかもしれないが…なんて言うバカいるか?
当たり前やね。
神様に借り作るのが嫌なら祈願なんぞする資格ないね。
そういう匂いさせたら私もご祈祷はつべこべ言ってもうしない方向へもっていきます。