金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

宗教は皆一緒?


宗教は皆一緒という考えの人がいます。
まあ、済世利人というところではいっしょかも知れません。
というよりそこはいっしょでありたい。
世の中に害悪をなすのでない限り、お互いに信ずる人を導き、心のよりどころとなっている 人や社会に対してよき行いを勧める点ではたとえ違う宗教であっても敬意を持っていいだろうと思います。
だからその結果、比叡山で宗教サミットみたいな催しも可能になる。
宗教同士が敵視しても不幸しか生まないのもおさえておくべき重要な点。

でも教義はみな違うし在り方も違う。一緒にできることには限界がある。
クリスチャンでありながらヒンドゥー教徒にはなりえない。
宇宙観が違う。神に対する考えが違う。それを同時に信仰はできない。

そこが無茶苦茶な人もいる。
「皆一緒でしょ。」というので「誰がそんなこと言っているんです?」と聞くと黙る。
「亡くなったインドのサイババさんは釈迦もキリストもハヌマンも一緒に祀っていたでしょう。それが本当では?」という。
それもいいでしょうがサイババさんはヒンドゥーの神々と同じように釈迦やキリストをとらえている。
その考えにほかのクリスチャンや仏教徒とはまったく賛同できるだろうか?
同じものを祀っていても考えは違う。
サイババさんはサイババ教。ヒンドゥー教徒でもサイババさんと考えの違う人はたくさんいる。
むしろほとんどそうでしょう。
例えば聖天様のルーツはまったくもってガネーシャですが、捉え方は密教ヒンドゥーでは違う。つまり同じように見えて違うのです。
仏教の立場からヒンドゥーの神々をそのまま信仰するのが天部信仰。
でもヒンドゥー教ではないのです。
キリストさんも地蔵様みたいな代受苦の菩薩だなとは思うけどそれは私の仏教から見た私の考えでしかない。

ましてやその辺が全部ごちゃごちゃになってはもう何教でもない、その人だけの宗教でしかないのです。
もっとも最近のスピリチュアリズムの傾向でそういう人増えましたね。
それはそれでいいけどよそには持ち込めないことを知っていないとダメです。そこだけの話です。
うちに来ても天使や異教の神さまの話する人いますが「しりません、よそのことは。」というほかない。

三昧耶戒には異教の神にも敬意を払えというが、異教の教えに敬意を払えとは言っていない。全然違うのなら無理でしょ。
ましてや、そんなの押し付けてこられても無理だね。

最後に一番大事なことは、人間自体に対して違う宗教を信じる人であっても、無宗教のひとでも人として敬意を払うべきは当然だということです。
そこは間違えちゃいけない。
宗教と人は別です。
そこがオーケーなら世界はだいぶ平和になると思う。
どこの神様だって殺し合いなんか望んじゃいないでしょうから。