金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

「出て来い俺の友達!」


アニメ「妖怪ウォッチ」では主人公の少年が妖怪を呼び出すのに「出て来い俺の友達○○」というセリフがつかわれています。

この間、狐呼ぶ話したら「召喚魔術」が密教にもあるんですね?という
ひとがいた。どうやって使うんですか?ときた。
召喚魔術?とはいわないが色々な眷属を呼ぶ方法はあります。
だけど命令して自在に何かさせるというわけにはいかない。
要請するだけです。彼らが義務があるのは本尊を通した用件の遂行のみ。もちろん本尊の命令でのみ動く。私ではない。
関係省庁に要望の書類が出て認められればはじめて、公務員が遂行義務があるのと一緒。

そもそも霊狐は式神の様に自分の意識を分離させたものではないので、むこうさんにはむこうさんの意志があります。
だからいきなりそんな存在に呼び掛けても「誰だよ。お前?」で鼻で嗤われておしまい。
ましてやいきなり「○○せよ」なんて言おうものなら。「何、こいつ面白い!」と腹を抱えて笑うでしょうね。まずまるきり相手にされない。
まずなじみにならないとダメ。もっと言うなら友達になるんです。
友達になるなら毎度、毎度、1000遍でも2000遍でも本尊供を徹底してやる。長い事やる。
そういう信頼関係で知らず知らずおなじみさんになるので実は召喚魔術といったものとはイメージは違う。眷属動物も大眷属たちと同じく本尊に仕える存在ですが眷属動物はレヴェルは我々に近いから意思の疎通が可能ということです。

ましてや、生贄をささげて悪魔を呼ぶなん黒魔術は私に言わせれば施餓鬼の応用でしかないけど、法施がないから呼ばれた奴は成仏しないでますます貪欲になる。つまるところそんな奴は悪いことにしか使えない。

だから妖怪ウォッチの「出て来い俺の友達」は正しい態度です。
霊狐はあくまで対等。お友達です。家来ではなくいわば職場の仕事仲間です。主人はあくまで本尊。それが正しい眷族の在り方。

一方、十六善神なんかは呪文だけで降臨してくれるという。
こういう大眷属は呼びかければ自分たちの「誓願」によって来ることになっている。
神仏はなじみだから来るわけじゃないけど、霊狐なんかとは格が違うから私みたいなレヴェルの者には果たして来ているのかどうか、その存在さえもわからない。
むこうが敢えてデモンストレーションでもしない限り。
そもそも呼ぶのではなく、お呼びするのです。神様ですから。
そこ忘れちゃいけない。でもこういう方々が動くようなら当然眷属霊も動き出します。

十六善神というけど、十六人がそのつど全員が全員来られるわけでもないようです。
同じように不動八大童子だの、弁財天十五童子だのというのはそういう類です。
古への高僧はこういう存在と対等に付き合ったそうです。
元三大師の好敵手、南都の仲算法師なんかは竹生島の近くで船浮かべて十五童子に琵琶ひかせて楽しんだという。

もちろん、私のはまったくそういう方々に及ぶレヴェルじゃない。時々霊狐に「だめじゃないか?」と注意されたりもするくらいですから(笑)