金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

年を取るのは今まで無事な証拠


今日は後輩と旧友にあいました。全く分野の異なるふたりです。
後輩は訪ねてきたし、旧友は外で食事しましたが・・・しばらく会わないうちのよもやま話。
会って歓談したのは人生のオアシス。
でも話を聞くと皆色々あって・・・大変だなあというのが実感。
最近ほかにも10代の頃の既知から体調崩してひとりで苦労しているというメールもきました。

人の事だけど身につまされるようないろんな話を伺った。
そう言えば他人事みたいに言っているどころではなく、私だって何もなかったわけじゃないよね、実にいろいろありました。
しんどい事。悲しい事。やりきれない事。恥ずかしい事。
こうやっていろいろあって皆、年を取っていく・・・当たり前だけどね。

なんかこうやって、いろんな目にあってある程度の年になってもう人生の中盤は越したし、・・・そう思うと少し気楽だね。良くも悪くも人生は終わるもの。

まあ考えてみればその年まで無事に生きてこられたというのは確かです。
そうだ!年を取るのも悪くないかなと思いました。
まあ、これからも色々あるでしょう。決して平穏であるとは限りませんが・・・、

私はいつも思うのです。
水族館で大きな魚を見ると、ああこの魚、小さな小さな小魚がこの大きさになる年までなんとか無事に生きてきたんだ。いやあ・・・大したもんだなあと思う。だって何十万個の卵の中の一匹だものねえ。ここまでなるのは。
偉いものだなあと思う。魚だけど尊敬すらする。
同時にそういう大きな魚が魚屋さんなんかにならんでいると。ああ。こんなに大きくなるまで生きてきて艱難辛苦してついにここで命運尽きたのか・・・哀れなこととしみじみ思う。
こんなこと思っているのは私がバカだからですかね。
きっとそうです。(笑)