金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

一行禅師が早死にのわけ


中国人僧侶の方からこんな面白い説話が聞けました。

一行禅師は唐代密教の大家で真言宗では「伝持の八祖」に数えます。天台宗では天台密教の遠祖と言われています。しかも大衍暦を作るなど天文学に優れた科学者でもありました。
この故に密教占星術はこの人を中興の祖とする話もあるくらいですが実際は占いなどよりも暦術などの天体運行の科学に優れた方でした。
さて禅師はそのようにすぐれた人だったが40代でなくなった。
それはなぜか?これはその物語です。

実は一行禅師の乳母の息子がある時、誤って人を殺してしまった。
当時、人を殺せば死罪は普通の判決です。
乳母は一行に泣いて取りすがりなんとか皇帝様に頼んで罪を少しでも軽くしてくれるようにせがみました。
だが国法は国法です。
内供奉の禅師で皇帝に拝謁の叶う一行禅師でもそれは難しいことでした。
そこで禅師は一計を案じ、皇帝の運勢を予見して「陛下には将来にこれこれこういう不吉な影があるので、それにそなえて徳を積まなばなりません。」と奏上しました。
そしてそのためにと罪人の大赦を勧めたのです。

しかし皇帝は本当の事情を知ってか、あまり乗る気でない。
そこで一行は北斗七星を七頭の豚の親子に変えて袋に入れて隠してしまったといいます。
その日から空に北斗七星はなくなった。北斗七星と北極星は皇帝の星です。
この異変には皇帝も大いに驚き、急いで罪人を一人解き放ったそうです。すると禅師も子豚を一匹はなして天に返す。
空に星が一個戻るのを見て安心した皇帝はまた一人また一人と終には七人目に乳母の息子を釈放しました。それで北斗星はすべて天に戻った。

一行禅師はこういう不思議なことをしましたが人の決してさわってはならぬ天文をも左右した禅師はこのために夭折したのだというのでした。

一行禅師は共産党の支配する中国では偉大な宗教者ではなく、天文学の先駆者として切手のデザインにもなっていますね。