金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

聖天様と良いお付き合いをするには


聖天様はじめ天部の神様と付き合うには・・・?
結局長いスタンスでお付き合いができるかどうかにかかっていると思う。
当たり前ですが良い関係とはおしなべてそういうものでしょう。

自分の願望をかなえたいあまり、手負いの猪みたいになって、方々の聖天様に祈りまくったり、派手なご祈祷をする。でもそんなの、してもかなわないものはかないません。あまりに功利主義むき出しで節操がない人です。
そういう人の本質ははじめから尊天に見え見えなのです。
それで御利益あればもう信仰なんか用ははない。
イヤイヤもっとご利益引き出せないかという浅ましさ。
そういう気持ちしか持ち合わさない人いますね。
神をだませると思う愚かさはしまいに恐ろしい報いとなります。

既に室町時代にそういう描写がある。男運がない女性が神社仏閣に幣帛を費やし、どこそこの聖天がいいと言ってはすぐさまはせ参じ、いや稲荷こそ愛法神だと聞けば、今度は今までを打ち捨てそこへと馳せる。そうやって方々かけまわり苦しむ描写がある。
その願いが決して悪いわけではないけどそういう人は現代も沢山いる。同時に叶わないものは叶わないのは昔から一緒です。そこは見切りも考えないといけない。
どこに行ってもかなう人もいればどこに行ってもかなわない人もいる。
信仰熱心と祈願熱心は似て非なるものです。

酷いのになるとこうした行為の果ては尊天を罵るような人もいると聞きます。
さんざんそういうことして騙されたと思うのかな。
「どんな願いもかなう」と言う一事が頭から離れないでそこに期待する気持ちにだけ引きずられている。

「どんな願いも必ずかなう!」
ハッキリ言いますがそんなことはありえない。
そう思って聖天信仰するならやめるべきです。それ迷信です。



天尊とうまいお付き合いができるか否かはまず尊天を好きでないとダメですね。かけがえなき御身内のように思う。
よその宗教見れば分かることです。
そうでないものは信仰とは言えません。
それと長く付き合うということ。
派手に短い浅はかな信仰はむしろしない方がいい。
見たかぎり、そういう人の行く末は決まってよくないですから。