金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

瞋恚は思惑のみならじ。

貪瞋痴の三毒の煩悩、この中で最も面倒なのが瞋恚つまり瞋りです。
怒りは
自分が悪いとは思わないから怒る。
自分に分があると思うから怒る。
自分は人と違わないのに…なぜと思うから怒る。
大方のやくざ者やろくでなしは三番目。
例えば、盗みを働いても多かれ少なかれ形は違うけど人は盗みや不正をすると信じている。
そう思うから反省はない。悪い事とは知りながら…というのは悪いと言われることとは知っているが・・・本当に悪いこととは思っていないというのと一緒。
だからそういう悪人と言われる人たちは大体根底に怒りがある。盗んで対等。殺して対等。騙して対等だと思っています。

根底に「フン、何言ってやがんでェ!」というのがあるから悪事はやめない。

まあ、そこまでの話は極端ですが、瞋りはそういうもの。
自分が心底悪いと思えば怒れない。逆に自分は不当に扱われていると常住の観念に根ざして動いてる。
周囲や世間は自分に借りがあると思っているわけです。
自分は酷い目に遭ってきた。不当に差別されてきたと信じてる。
だから悪人という連中は基本的に被害者の気持ちでいる。加害者でなく。

悪い悪いと言いながらそのつど、また激怒している方は真摯な反省が本当はないんですね。

大方の加害者はその人にいわせれば自分史的には被害者だと感じているものです。だから怒るだけの分がある。自分を守るためには必要だと思っている。猜疑心に満ちている。
本当には信じない。
やっぱり裏切られた!思っていた通りだ。
だから怒る。

貪瞋痴の主体は「思惑」という単純なものでいわゆる欲であると言うが、瞋りには「見惑」といってものの見方の間違いが加わるので難しい。
古来煩悩に二種あり比するに「思惑」は断ちやすく、「見惑」は断ち難しというんですね。
だから、多分に「見惑」に属する瞋りは難しいんです。
自分で気づく以外ない。でも自分は正しいと思っている人がほとんどだから無理。
見惑の怒りを持つ人は何となくわかる。攻撃の影が漂っている。
でもそれはは迫力や強さではなく弱さゆえです。

そういう人は必ず騒動を起こすので入講もそれとなくお断りしてます。
差別的だって?
はじめから助けられない方に講員になってもらってもあちら様もこちらも無駄ですので。
周りに飛び火したりすれば大迷惑です。