「人間死んでも死んだ自覚がないと迷うというけど・・・本当でしょうか」
「あったほうがいいが、ないから必ず迷うというものでもない。もし死んだ自覚がないと迷って転生できないなら、大方の動物や鳥は転生できないことになろう。死の観念などないのだから。転生は業によるので観念によるものではない。」
「あの世にいったら仏との距離は近くなる?」
「関係ない。あの世にいってかえって遠くなる奴もいる。信心深い者でも目の前に阿弥陀仏や観世音などが常にいるというわけではないからな。(笑)
この世にいたころと距離感は変わらぬ。」
「極楽はどんなところ?」
「ところではない。正定聚に入ったものの集まりが極楽だ。」
「死後の救いとは?」
「生前の学びが活きた在り方がそのまま救いだ。」
珍しく答えてくれました。
あの世のあり様を訊ねると
「転生するまでの霊界の存在は死者の社会などないのだ。皆、この間は一人で夢を見ているようなものだ。宙宇の間に出会うものはおのれの観念の具現化であり実有ではない。ゆえに三途の川で先亡の親族が迎えに来たと見るのも実在には非ず。その者の観念のなかで起きているだけだ。そうして49日間に観念の洗い出しが起きる。ここまでが個人である。いわば霊界で死の続きをするのだ。肉体の死を迎えた後は観念の死が待っている。それが霊界。
そうしてそれでも無くならぬ残った心識の薫習によって転生するのだ。」
こうしたことが本当かどうか…知りません。クレージーな私の精神が分離して話してる?かもね。(笑)