金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

徳山点心の学び

禅書の「無門関」のなかに「徳山点心」というお話があります。

徳山という名のある禅僧が若いころの話。
物語のあらましは以下の通り

徳山さんは若くして大変な善知識で鋭意気風の禅客であった。
南方で新しい禅風の起こったと知るや、そのあらましを聞いてそれは邪儀であると論破するため南下の旅をしていたという。
背中には大部の金剛般若経の注釈書を背負っていた。

途中、徳山師は街道の茶屋で休憩をとった。その折おいしそうな菓子が店先にあるのを見て注文することにした。
果たしてその店には一人の婆さんがいた。
「婆さん、茶だ。それとその菓子。」
「はいはい、お茶にお菓子でございますね。 まあ、和尚様、これは大きなお荷物ですねえ。」
徳山は「これはな、婆さん。全て金剛経というありがたいお経の注釈書であるぞ。」
「へえ。金剛経でございますか・・大変な量でございますねえ。」
 
「さよう。」

やがて婆さんは奥から茶と菓子を持って現れた。徳山が菓子を食おうとすると・・・
「じゃあ、和尚様一つお尋ねをしてもよろしいでしょうか?」
「なんだ?婆さん、お前さんは金剛経を知っているのか。なんでも聞くがいいぞ。」

「じゃあ。一つお尋ねします。」
「うむ。」

徳山は茶を喫しながら…この婆さん、禅に造詣のあるわけでもあるまいに。一体何を聞くのやら?と思っただろう。

そしたら「金剛経には過去心も不可得。現在心も不可得。未来心も不可得。と言いますよねえ。これじゃあ、全部不可得じゃあないですか?そうしたら和尚様は一体今、どういうお心でお菓子を召し上がるんでございましょうかねえ・・・ホホホ」ときた。
「!」

この婆さんの発した言葉に一言もなかった徳山は大いに悟るところあり、その場で背負ってきた金剛経の解説書を全て焼き捨ててしまったそうです。

多くの無門関の解説書ではこの婆さんは凄い達人というけど…私は実はこの婆さんは至って普通の人だと思います。

大変失礼なものいいだがすごい婆さんと思う人は相変わらず目が覚めないのだと思う。まあ。教科書的解釈はこの話のいいたいところは「まさに住するところなき心においてしかも、その心を起こすべし」ということなんではあるのですが・・・

「過去心も不可得。現在心も不可得。未来心も不可得」なんて言えば、「変なこと言うなあ、じゃあ今食おうとしている菓子を食う心はどうなんだ?」と思うのは当たり前です
多分当時往来にあって旅の僧侶からそのあたりはうろ覚えに聞きかじっていたんでしょう。
で、変なこと言うなあと思っていたのだと思う。
「凡俗の徒にはわからないんだね。」とか
ろくにわかりもしないのに「ウ~ムなるほど・・・それは深い!」なんて感心しているバカにゃ本当の仏道なンかわかりっこない。

仏道修行も結構ですが、こういう茶屋の婆さんも心のなかに住まわせたいものです。
でないといくら学んでも注釈書背負って薀蓄たれる講釈師になるだけです。そんなことは仏教辞典みりゃわかります。

素朴な疑問を大事にする。そこから本当の理解がはじまります。