金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

心のアルバム 唯識

わたし達の生活は記憶の断片からできています。

でもそのほとんどは忘れ去られています。
一番古い記憶は何ですか?一番嬉しかったこと。悲しかったこと。
色々あるけど長い人生も振り返れば点々としたわずかな記憶をつないだものに過ぎなのです。

他に今ここにいる存在を除いて私たちの知る私という存在はそういう記憶の寄せ集めでしかありません。
映画やドラマなどで何かあってしばらく後という描き方を我々が容易に認識できるのは実は頭脳構造がそうなっているからなんでしょうね。
つまり、興味あるテーマに照準を合わせれば途中経過がワープする。そういう頭脳を人間は持っているんです。
しかも人生には無数の場面があるのにもかかわらず。我々の認識しているそのテーマはそんなに多くない。

仏教の唯識思想は我々自身を認識の産物と考えます。
つまりある意味そういうものが我々の正体なんですね。

だとすれば嬉しい場面、感動した場面、いい場面だけつないでつくたっていいじゃないか。ちょうどアルバム作るようにね。
誰も悲惨な場面や悲しい場面撮ってアルバム作る人はいないでしょう?

なのに心の中のアルバムはそんなのばっかりはおかしいですよ。
そうじゃないですか。