とくに宗教はいろいろな人と語りました。
一番多いのは「新宗教」
キャンパスで網張って待ってる。
「真理はただ一つ」「貴方か私かどっちかが正しくどっちかが間違い!」そんなんばっか。
でも私は思うんです。真理は一つなんてうそっぱちです。
「引力の法則が絶対であるように真理だって一つですよ。数学の答えだってそうじゃないか?」という奴いたけど、引力の法則だって他天体にいけばまた違うだろ。
物理学の世界では1+1は2とは限らないしね。
そんなのは頭が先行してそう思いたいだけ。答えは一つだと。
人間はそうやって弁証法的に答えを求めてきたからね。そう思うんだね。
そういう癖ができてる。
自然科学の応用分野はともかく、とりわけ宗教に関しては真理は一つとは全く思わない。そんなの認識のかたちによってどうにでもなる。
どんな表現だって可能です。神様が天地を作ったという考えもあるだろうし、そんなの自然現象という奴もいる、だけど自然現象とは何か?神とかいかものなのかの概念次第では実はほとんど同じこと言っているようにもなる。
だからこれこそが正しい教えとか大上段にいう奴はみんな胡散臭く感じてしまいます。それ故新宗教は軒並み関心ないね。
「羽田君、君は本当の真理を求めてみたいと思いませんか?」という奴もいたけど「思いませんね。全然」でおしまい。
そんなものはしょせん言葉の遊びや理屈でひねり出したものに相違ない。
だからどうでもいい。もっとアバウトでいい、創造的でいいんじゃないの。真理なんて、
第一真理って何?
本心いうとですね。・・・そんなのどうでもいいんです。私は。
そんなの形になんないでしょ。
仏教ではそれで「空」というんだね。
「仏教の真理って空でしょ。」とかいうけど・・・違うと思う。
「空」はカン違いし易いけど「真理」じゃない。
そういう固定的なものはないんです。おそらくそれが仏教のテーゼではないでしょうか。
わかりやすくいうなら空は真理の姿です。スタイルの事。
これって体得する以外ないんです。理じゃないから。
もっというなら真理なら要は理屈でしょ。理屈なら口にできるけど理屈じゃないんだよね。
だから仏道では真理という言葉はつかわない。
仏教用語でないんだね。
おそらく。
仏教でそれ言うなら真如とか実相でしょうね。
理智不二とかいうけど、そんなの哲学的に単に頭で理解していても。ただの伝達方法としての表現なんだからそれで何かがわかるわけじゃない。