金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

ニーズに応えましょう。


きのう。
聖天さまのお寺の方がおこしになり、お話していて、最近聖天様がネットなどで知られるようになり聖天信仰を希望する人が増えたが、濃厚なスピリチュアリズムの団体に属したり、新宗教の人などが寺に来るのはいかがなものだろうという話題に・・・

無論、宗教法人の場合は誰でもお参りする人は拒む理由がない以上は拝んで頂いていいというのが基本スタンスでしょう。

いわゆる浅草寺の観音様のようにオープンで拝んでいただく、祈願も受け付けでもって申込用紙で記入して頼む。お札受け取って帰る。
この範囲であればたとえどんな宗教の人でもいい。無宗教でも門題ない。

ただ信者にまじってお経読んだり祈願したりして、いわゆる参詣者から信徒の域まではいってくるといろいろ難しい問題もある。
なかには自分の宗教の布教までするものもいる。悪意なく、ただ頭が幼稚で「いいことなので知り合いには広めたい」という感じの方もいますから。
もっと厄介なのはスピ系だの瞑想系、聖天様は拝むのだけど思想基盤は違う方々。
この人たちも信徒の間で親しくなってくるとそういうセミナーに信徒仲間を誘ったりしだします。

多くの場合、必ずしも信徒をやめさせて自分のグループにひくという悪意はないんですね。
自分も仏寺の信仰を続けながらそれをしていくというスタンスではあるのです。

寺には彼らの方にないものもあるのだと思う。だから来るのでしょう。
そっちだけで満足していないんですね。
荘厳さとか歴史ある神仏とかはない。
ただ思想的なものはとなればそっちが根拠になる。

そういうのが寺の中を徘徊するのは寺院の多くが仏教の教えをしっかりと説いてこなかったことが一番の原因だと思っています。
法話もし、仏教の教えについての質問にも真摯に答えようとしていればこの問題は大分軽減されます。



多くの場合、祈願寺であってもそこに仏教の思想性は濃厚でない。
法話も世間一般の道徳のお話とあまり大差ない。
霊の話や死後の話など宗教ならではのところは極力避けてしない。

その空白が新宗教やネオ・スピリチュアルで埋まるわけです。
それが寺に来て同じような部分が空白な人に話をすれば当然関心を持つわけでしょう。
この悪循環絶つためにはそうした疑問に寺が真摯に向き合う以外によい手立てはないのではないでしょうか?
要するにそういうニーズにこたえていないことが問題でしょう。
滅罪寺院はともかく、祈願寺は特にそのことは考えないといけないと思うのですが・・・
きのうのお寺様などはその点、法話も指導もしっかりされておりますがそれでもそういう問題はある。かくいう拙寺でもあります。
だから、他の宗教・思想団体の方は基本、お断りです。
悪いとか、いいじゃなく。そっちで頑張ればいいでしょ。部分利用はお断りです。

特に最近のスピ系の方ははじめから共感があると勘違いして霊の話なんかしてくるけど一切認めません。断固拒否。私。偏屈、偏狭ですから。