金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

「怒り」を大事にする

 怒り

その怒りは何のため?
人があなたの思うようにしてくれないから・・・ですか?
誰かがあなたを裏切ったからですか?
軽く扱ったのでしょうか?
酷い言葉を吐かれ侮辱されたからでしょうか?
あるいは相手が理解してくれず自分を誤解しているから?

確かにどれも不愉快極まりないですね。
それはそうです。怒りますよね。

では怒るのは何故?怒りは不愉快のアファメーション

それは「不愉快だ」「Noだ!」と周囲に知らせる行為です。

怒りはいけないとはいわない。
怒らなくちゃいけないことだってたくさんありますから・・・むしろ大事にしたい感情です。全く怒らない人がいたらその方は立派なのではなく、おそらくは感情の病気です。

でも、そもそも怒りは相手と交流があるから怒るのですね。
裏を返せばわかってほしいということと同じ。
分かってほしい!
「わかるわけない!」というなら怒ることははじめから無意味です。

怒りが役にたつこともあるでしょう。
そして役にたたぬことも。
また必ずしも怒りにしなくても通じることも沢山、あるはずです。

だとするとその怒りは必要ですか?
怒りは大事にしないといけない。無駄に怒るの駄目ですね

そして常に心に置きたいのは私は私。人は人。
だから分かり合えるなんて言ってもかなりアバウトな線でしかないのが真実。
あなたを本当にわかるのはあなただけしかいないんです。ホントはね。

だから、それを怒るか否かは・・・あなたが決めることですね。
誰にも決められない。
怒るのあなた自身ですからね。
ただ、怒りは衝動にしないこと、意識して使うこと。
でないと役に立たずに必ず自分を傷つけます。
怒らないでいいことは怒らない。
怒っても仕方ないことも怒らない。

本当の武士はめったに刀を抜かない。
同じように怒りの刀は大事にする物だと思います。
怒れる仏、明王不動明王愛染明王もみなすごく恐ろしい怒りの形相です。
でもあなたのその怒り、明王達から嗤われるような怒りじゃないですか?