金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

理趣分の威力


准胝尊の念誦の終って修行を勧める得度者に「理趣分」の素読、訓読と真読各々100辺をしてもらっています。
結果は色々でスイスイ行く人。やっていて体が本当に楽になる人もいれば、なかには持ち前の業が強く現れる人もいます。
業が出るというとみな怖がります。
確かにとても怖いことです。
でも必要なことです。
いづれの反応もすべて理趣分の功徳です。

修行というのはこれに限らず何であれ自分の業の整理から始まります。
ここを避けて通ることはできない。
そこはとても慎重にしないといけません。
例えば修験道などもその斗薮修行のうちに地獄から天上までのすべての体験を含むと言います。
そこには無数の輪廻転生を繰り返し菩薩行を完成したのと同じ意味が附せられています。そういう苦行をしていてもなお余りあるのが人の業というものです。

ですから趣味や教養のつもりでいる人には、こういう修行など到底させられるものではありません。
最悪、悪業の発動で亡くなることもあると思います。
それでも仏道の目から見ればそれでも前に進んだことになります。

なんで良いことをしてこんな目に逢うんだ?などということは真の意味で仏道修行を理解していないことになる。

それはまず最初に自分のカルマと向き合い、これを克服せんとすることです。修行にご褒美などありません。
自己を磨く道にそんなものはない。
そこは徹底して肝に銘じるべきです。
だからその心がないと見るや修行はしていただくわけにいきません。
世俗の幸せや願望成就とは無縁です。

人が修行に入る動機は様々ですが、なにも職業行者になって祈祷をするためとは限りません。
そういう動機でも結果的にはむしろそんな風になれる人達はごくひと握りです。
あるいはどす黒いカルマの浄化のために修行に導かれる人もいます。

いずれも必要なことは、気負わず。無理せず、慎重に、丁寧に修行することが大事だと思います。