金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

霊狐さんの指導は・・・

時々天狐通信を見て「ぜひともおキツネ様に私の事を訊いてください」と言う人いますがそれは無理です。

お狐様は個人レベルのことは、たとえ私のことでも何も言いません。
聞いても一切無視!
唯一、人とのかかわりで私がなさんとしてることが筋が微妙に間違っていればただすことはあります。
関わるな!拝むな!捨て置け!などです。
それは私を気遣うのではなく、あくまでそれは間違っているぞという万人の守るべき「道理」を教えてくれるのみです。

だからそれはするなと。すべきでないと。

ただし、だからといって逆に個人レベルでこうするといいとか、具体的にこういうふうにせよとは一切いわない。
そこは私が考えるほかない。
判り切った間違いをしようとしているときなどはおそらく一切そうした注意もないでしょう。
いまさらそんなことを言わせるなということだと思います。

故に霊狐さんは言うのです。

「人とは自らが選択して生きてこその人生なのだ。逐一お告げを頼りに生きるなどニセモノの生き方の最たるものだ。
たとえそれがどんなに素晴らしいものをお前たちにもたらそうと全てニセモノだ。
子供の自らすべき勉強を親が変わってするようなものだ。そこに学びはない。
いちいちこうせよとか、ああせよと事細かにいうものはニセの「まが神」だ。そんな神はいない。

汝はそのようものも求めてはならぬ。人に求めさせることも断じてならぬ。

転べば自分で起きるのだ。手だすけなどいらぬ。
毒を口にすればはきだすのみ。
それを食うなと制せば人は何が毒かもわからぬままに人はまた別な毒を食らうのみぞ。」

それと私がよく叱られるのは
「みなまで言うな!みなまで言わねばならぬと思うようなものは、みなまで言ったところでわからぬぞ。モノ申すにも必ず人が考えねばならぬ余地を残すものだ。」ということですね。
霊狐さん。毎度すみません。