思うにこれは加持感応とか感応道交というもので密教行者が持つ修法から生まれる能力です。
霊が見えるとか聞こえるはないけど本尊経由で必要なことは把握されている。生来の霊感や霊能と違って修法の果てに得られるものです。
知りたいことやみたいものがみられるわけではなく、本尊とつながった結果必要な情報が流れ込むという感じ。
当時の私にはわからなかったけど、先生はよく「拝まれている聖天様は光っているんだよ。」といわれた。
「でもみんな光ってる!よく拝まれているんだわ。」と言われていた。
実際、猊下は80代後半まで浴油までされた方で、過日、油多羅を落としてしまわれことで「もう、浴油はやめておこう。」ということで杓を置かれたそうですが、でも中心の御尊天を浴油しても他の多くの尊像のお厨子もすべて光っていたそうです。
これは行者の観念力のスケールのなせるものですね。
この方は畏友である伊矢野師の深く深く慕う浴油のお師匠さまでもあります。
お浴油は清水谷大僧正から大井聖天の先々代藤本大僧正経由で伝授を受けられたそうです。私のは先代住職の白戸師匠が筑摩座主から受けられたものです。
同じ寺の異なる修法を全く弟子仲間とは違う友が継承している。なんとも不思議なご縁です。