金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

祈りへの自信

心理学者のアドラーは「他人の課題」ということを言います。
本人が為すべきことにくびをつっこんではいけないという意味。

それは霊狐さんからも厳しく言われる。
「お前の出る幕ではない」
「お前の口を出すことではない」

基本的に私のなすべきことは「祈り」なんですね。
若いころは祈るだけなんかでは不足だ。なんとかして上げようと実際にあれこれ奔走して大失敗したこともあります。かえって人の迷惑にもなった。
これが大間違いです。

結局祈りに自信があればそういうことはしないのが当たり前なのです。
「なんか祈るばかりで何もしていないよね。」と他人様に思われては宗教者として不本意だとか…と思っていたけど、だれよりもそう思っていたのは他人以上に自分だったんですね。
つまり祈りに自信がなかったんでしょうね。


霊狐さんは言います。
「お前は自らをひけらかさんがためにそういう余計なことをするのか?いらぬ。即座にやめよ!」
だから私としてはそういう間違いをしないために「そこは私の知ったことではない。」という口癖にしています。

今は昔と違い、祈るだけで必要十分だと思っています。そういう自信があります。
この自信は祈れば目的が必ずかなうという自信かといえばそこは少し違います。
今、私が祈ることがその祈願者の人生のなかで必ず必要なものなのだという自信です。
私自身の呪力、法力などを信じるのではなく、ただただ「仏縁の中の自分の役割」を信じているのです。
私と祈願を依頼する方を結ぶ仏縁こそを信じているのです。
他に何もありません。
だから今日も縁を信じ、縁に任せてただ祈るのみ。

それでも時々余計なことを言おうとして「それはやめておけよ。ほおっておくのだ。お前にはなにもできぬ。捨て置け。」といわれます。