金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

内証


准胝独部法を修行している居士修行の方からこんなメールもらいました。この前のゴミムシ云々の方です。

「夜分すみません、○○です。先ほど本日の独部法をしていた時、はっ!と思ったことがありましたので、ご報告いたします。
私自身「んなあほな!」と思ったことですので、先生も「話が出来すぎだ、作っとるだろ!」と思われるかと思います。
予め申し上げておきます。
すいません。
 
先ほど独部法をしていた時、「独部法してると黒いものとか米とか吐き出す夢をみると言われているんだっけ…俺は見ないなあ」と思って、ふと、黒い米を吐き出したわけじゃないけど、ゴミムシを外に放ち出したぞ!とその映像を思い出しました。ゴミムシですから、1センチほどの真っ黒な米みたいな形です。口からではありませんが、窓から外に出しました。
(先日のゴミムシの件は夢ではありません、現実実際のことです)
出来すぎの感があり、私自身独部法中にもかかわらず笑ってしまいました。
合掌。」

儀軌では黒米を吐き出すとなっていますが、まあ本物の黒いお米ではないでしょうからこのお話も「無理なこじつけ」とは思いません。
果たしてイネ科の黒い種子をはかねばいけないというものかどうかは語るまでもない話であくまで「象徴」でありましょうから。
その折にゴミムシがそのように思えたならそうかもしれません。

こういうことをどう受け取るかは内証の話で、いわば「己心中の法」という類に等しい。
内証は内緒と同じ言葉ですが、字のごとく「内に証す」ということです。
普通、証明者は必要ないのですが、あえてそこを阿闍梨に尋ねるというの正しい判断でしょう。
むしろ阿闍梨はそのためにこそいます。

周囲の人や門外漢が皆「そうに違いない」というのはこういう話の場合に限って言えば、かえってバカげています。
そのような人が周囲にいたら付き合って百害あって一利なしです。ただのアホか嘘つきですから。

いうまでもない話ですがこの場合はゴミムシが黒コメの役をしているのでゴミムシ即黒い米。黒業ではないのは当然です。
汎用してはならない話です。
汎用化すると「うちもゴミムシ出たので業が潰えたんですね。」なんて愚かな「迷信」になる。

同じことが起きても「あんたの場合はそうじゃないでしょう。」なんていえば即、差別だなんだと不平をいう人もいますが、そこを見極めるのが阿闍梨です。そういうことを言いそうな人、つまり器でない人間に法を授けないのも阿闍梨の大事な見極目です。

公案に同じ答えをしてもかたや印可し、かたや印可しない。
禅の師家も同じことだと思います。

この方は既に相当数念誦されていますからそういうイメージでゴミムシをとらえたならば、そこは阿頼耶識からのあるレベルで業が解消されたというなんらかのメッセージだと考えても差し支えないでしょう。