その人が正念誦の最中、幻に青い衣を着た17,8の少年が現れたと言います。
少年の言うようには「今、弘法大師がおいでになりましたよ。急いで東山入道殿下(皇族の出家者)に知らせなさい。」と述べたそうです。
勝月上人は「そのような世間のことなど口にするものではない。色々とこころに映るものは前世の業の感じるところと思うべきで、それを一々に喜んだり嫌ったりするのはよくないことなのだ。」とその少年にいわれたそうです。
正念誦の最中は末那識(潜在意識)から色々湧き上がる。
それを一々霊感だのお告げだのと無条件に騒いでいては密教行者にあるまじきことということでしょう。
面白いのは上人は幻であるとしながらその幻の少年に語り返している。
おのが末那識から出てきたつまらぬ心の断片にすぎないといいながらも。
此処で相手をして語るのはむしろ有効なのです。
何故ならそれはただの記憶や雑念でなく、人格として出現しているから。
自分が心のどこかでそういう形で臨むゆえにそうなるのですからちゃんと相手してうち消しておかないといけない。
イエスが荒れ野であって問答した悪魔もあるいはこのようなものであったかもしれない。
古来、悪魔は正体が割れると去るものです。
仏教的には四魔といって悪魔にも実類のものもあるがそれはそのうちの天魔というものだけです。
修行がよほど進まないと天魔までは現れない。逆に現れたら夜明けは近い。悪魔の訪れはマイナスのかたちの福音です。
イエスも釈迦もそうだった。
しかし多くは上人のいうような幻です。
密教の行法させるとそのような幻ばかりに興味を持って、肝心の修行のはかどらぬ人がいます。
本人は霊感が出たなどと喜ぶが非器といわざるをえない。
行が進めば多かれ少なかれこうした副作用は起きてきますが、残念ですがこだわってしまうのは女性の行者さんに比較的多いですね。
女性でもここをスルーできればいいわけです。
男性に比べ、女性は感受性が優れていますからそれゆえの失もある。
自称霊感者には圧倒的に女性が多いけど、果たしてここまで潜り抜けるような人は決して多くはない。
その意味では女性行者には特にこのことは注意して欲しいと申し上げたい。
意味ある内容はほとんどないのです。
このようなことに拘泥する人に法を授けても益はなく害さえあるということです。
然し意味あるもの意味なきもの判別できてこそまことの霊感者です。