金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

人間は何回生まれ変わっても人間か?

人間は人間として何度でも生まれる。
動物などには決してならない。
実はこれはエドガーケーシーなどの西洋スピリチュアリズムの主張です。
ただでさえキリスト教にない輪廻を持ち出したのですから、このうえ人間と動物に差異がないようなことを言い出したら大変です。
というわけで西洋のスピリチュアルな考えでは人間はどこまでも人間として転生する。
でもケーシーも他天体に転生することは述べている。
でも厳密にそれって人間なの?
では第一人間発生以前の前世は何だったんでしょうか?

仏教では「本不生」という。これを阿字で表す。「もとより生ぜず」
究極的には生まれたものなど何もない。すべてが変化していく姿。

輪廻の主体はいわば阿頼耶識。しかし逐一、その内容は常に変化していて流動的。阿頼耶識はある同一個体の行動や思考である異熟をためていくが「もの」ではなく機能です。そのなかで主体が人間だという意熟が想定できなければいつも同一の人間という存在ではありえない。
だが仏教はそれはないという。
勿論いきなり馬になったりしないでしょうけど・・・聞いた範囲では動物から人間になったら初めは極短命。すぐに亡くなり、そういう体験を繰り返し・・・・仏教的に言うならゆっくり時間かけて異熟を変化させていくようです。
逆に言えば人間は長いサイクルで人間ですが良きにつけ、悪しきにつけ一線超えると別なものになる可能性も!?
ま、本当かどうかわかりませんがありうる話とは感じる。
私などは前世を何回かさかのぼると人間じゃないかもねえとなんとなく自分で思います。
トーテムという先祖動物思想もそんなとこから来てるのかもしれません。

故に仏教の理屈から言えばあらゆる存在にもなりうるということ。
エ~そんなの…と思うでしょうけど・・・・永遠の輪廻がもしあるなら先カンブリア時代に小さな甲殻類だったかもしれない、あるいは最強の捕食者アノマノカリスだったかもしれないあなたがいたから今があるんです。

魂が進化して人間以になるんだって?
それならエビやカニは今はもういないはず。