金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

大忿怒 宇宙に潜む正常化の力


大威徳法は大威徳明王を祈るズバリ降伏法です。
私がしてるのは「頓成降伏法」ともいう。16種の印言を用いて敵を攻めるもの。
この法は15年以上前に修した。その前も何年も前。
滅多しないけど経験上は必ず効験がある。

とはいえ、勿論、人を殺すとか、傷つけるために祈ることはしません。
当たり前です。
そんなことしても意味ない。
裁判や離別のために使う。
ただし、この法は許可がいる。
あちらがわの許可が出ないと使えない法です。

だから頼まれては一切やらない。というよりできない。
勿論、そんな法なので頼まれても伝授は一切しない。
求めるものには決して授けずという法。

前に修した時は拝みおわって、本堂に入ってきた弟子が敏感だったので即具合が悪くなって倒れた。彼の表現だと「空間がずたずたに切れている感じ」なんだそうです。そんなものです。
怨念は込めません。淡々とただやる。

こういうものは自分の人間的な怒りや感情を必死に本尊に押し付けても無意味。むしろそれは邪魔です。そういう邪念や私心は流れを止めてしまいかねない。
本尊の忿怒が自分の祈りと一致しないと何も起こらないものです。
本尊の大いなる忿怒の感応を待つ。そういう「祈り」であって「呪詛」とは大きく違う。

諸大明王の大いなる忿怒とはあるべきものをあるべき形に戻す力です。

だからあるべき祈りのみが感応する。
自分のこうしてああしては全然関係ない。
実類の神霊などに頼むのとはそこは違う。
これは宇宙に潜む正常化の力を呼び寄せるだけですから。

今回はある裁判です。
拝んだら真言が空中で次々猛牛に変じてすごい勢いで相手方に飛んでいく。水牛の群れが怒涛の如く押し寄せるような感じ。
そういうイメージは私が意識的にするのでなく、自然に起きてくる。
密教の観想も本当はそういうもの。
おきてくるのがほんもの。
入廷時から睨めつけ威圧的だった相手が法廷でしまいにはまともに返せないで、バカの一つ覚え的なことを感情的に繰り返し連呼するだけになったらしい。
相手方の弁護士もこれといったことも言い返せないで閉口した様子だったとか。

勿論、修法以前に先方が悪いのですからそうなるのは自明の理です。
密教に黒いものを白いと言わせる方法はありません。