金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

閻魔の裁き

もうじきお盆ですね。
自殺すると地獄行くんでしょうと聞かれた。
正直わかんない。
でも仏教でいう閻魔様が悪い人の罪を裁いて地獄に落とすというのは実は中国的なイメージです。それは本来の仏教思想ではない。
そういう役所もなければなにもないと思う。
原典的にはインドでは最初に死んだ人だという。地獄の大先輩、それがもともとの閻魔天つまりヤマですね。

でも霊狐さんに言わすと「実際は閻魔とは前に死んだ自分自身なのだ。即ちお前が閻魔だぞ。」という。

どういうことかというと輪廻転生の原初的な自分。価値観をもって人間として転生した初めの自分、それから転生して死ぬたびに上書きされていく自分。それが閻魔。
死んでみれば前の世もその前の世も思いだされる。だから自分のしてきたことが「いやあ、またやっちまったかあ・・・」みたいな人もいる。
それで自己嫌悪から抜け出せない。智慧の光を浴びるといかに自分がおろかかわかるから前に進めない。抜け出せない。
それが地獄。
自殺もそう。何か大義のために死んだとかそこに価値が有ればそこはちがってくる。でも苦しみの挙句自殺はリタイヤ。自分の業解消のノルマ達成できないのでまた生まれてそれやる羽目になる。
それそっちのほうが地獄でしょ。

何か絶対的に正しいことを知っている人がいて裁くわけじゃない。
自分をさばく閻魔は自分自身です。今の自分じゃない。何度も転生を繰り返してきた自分の意識、それが新しく死んだ自分の生きていた時のことを見つめるんですね。死んで転生していくまでは実際は全部ひとり芝居みたいなものなんだという。全部見ているものはマーヤー・幻視。自分の意識が三途の川だの、閻魔だのを作る。

勿論、閻魔の集合意識みたいなものはあるようですから密教閻魔天供なんかすると過去世の自分にアクセスできるんだね。たぶん。
したことないけどなんか特別な意味がありそうです。

梓霊狐は直接、自分はよくは知らないけど…風狐さんや天狐様に訊いた話ではと話してくれた。