ある施設でかっての功労者の霊がうろうろして出る。
心配なんですね。浮かばれないというのでなく。
それで弟子がそれなんとかしにいくというよう頼まれました。
「何かそういうのに対してすべき法ってありますか。
これ供養ですか?祈願ですか?」
「いや般若心経でも自我偈でもいいけど。大事なのは啓白文だね。」
「啓白って…祈願の趣旨よむあれですか?」
「そうこの場合、すべきは祝い。功労を認めて感謝祭みたいのする。顕彰といってもいい。いわばお祭りだね。中身はお経でも陀羅尼でもなんでもいい。」
「そんなのでいいんですか・・・?なんか法とかないんですね。そういうときの。」
「あんた、そんなのっていうけど、これはね、いわば祭りだから。」
「祭りですか?」
「そうみんなで集まって讃える。祝う。それが祭り。」
「そんなの啓白文中心でいけますの?」
「いけるさ。祝詞見てみろ。神社神道はほとんど仏教でいう啓白文だけで処理する。特に法とか術はないよね。そこの場のみんなが同じ気持ちになればそれは呪術だから。」
皆が同じ気持ちで祝う。認める。それは大きな力です。お祝いはとてもおおきな呪術。
だから皆さんからhappybirthday!と祝ってもらうのは大きな呪術ですよ。