ある信者さんがもう年とってお金もないし…というのでこの間講員辞めたいというお話聞いた。もう30年以上ついて来てくれて方です。
そのお話持ってきた人。仲介頼まれたのも古い古い講員さん。
でも、そういう時はいつも私「ああ、わかりました。どうぞ。」でおしまい。
仲介者は「それでいいんですか?」といわれたけどいいも悪いもない。
そこは本人の選択を尊重しないといけないなと思う。
どんなに長くいた人でも宮本武蔵の独行道ではないが「いずれの道にも別れを悲しまず」と思っています。
決して別れを惜しまないわけではないが「別れを悲しまず」というのも惜しみ方と思っています。
どんな形であれ最後の最後はお別れですから。
この人も80歳超えて、うちに来てはカラダの悪いことを始終嘆いていたので無料で加持人型送ったりしていたけどかえってそういうのが辛いらしい。
とても律儀な人なので。
御兄弟夫婦が家を買うというので全財産出してしまってもう自分のお金は何もない。自分は一人だし同居はしてるけど…という話。
色々つらい立場なんでしょうね。
お料理の仕事していた方ですので。皆のためにお料理作ってみても「…いらない」と言って誰も食べてくれない。そういう悲しい孤独な日々なんだそうです。
もう多くは聞くまい。そう思った。
「そんなの気にしないでいい」というのは簡単だし、事実そう思うけど、でもその裏にはいろいろ周囲の家族の思惑もあるでしょうから・・・そういう時はそのまま呑みます。
黙って呑む。人間80歳、そう言うには言うだけの考えもあれば、覚悟もしたであろうし。
いまさら「やめないで!」とはいわない。
でもね。責めるので無しに、年取ってお金ないから宗教やめるというのはおかしいことだよね。それはないでしょうと思う。
仕方ないにしても…宗教は本来一生のもの。臨終の一年のためにこそ必要。
そこで高年齢の人はそういう負担のなくてもいい内容にしていかないとなあ…と思います。
これはこちらが考えないとだめだな。
これからそういう人ばかり増えるだろうしね。