ここ1、2年
准胝独部法を在家の方に伝授させていただいていますが、とりわけ聖天尊の祈願を頼んでいる信者さんではご利益の上で各段の差が出てくる。
でも「これって・・・したほうがいいんですか?」という質問を受けると「いいえ、必要ない。別にしなくていいです。」に終始している。
別に意地悪で言うのではないです。
こういうものは縁のものだからです。
法自体の力も縁によって現れるものです。縁ができていないのに授けても無駄なこと
です。
縁ができている人は授けると言うとすぐに申し込んでくる。
した方がいいかなど聞かない。ここがみそ。
(した方がいいっかて一体何にいいか聞いているのでしょうね?)
これが第一の縁。やる気以上の縁はない。
いやいや、やった方がいいと勧めた人は効果が出にくい。というよりそういう人は授けてもやらない。
第二にたとえ希望するので、授けてもしなければそれで終わり。
そういう人はかえって一種の三昧耶への冒涜となるから運勢がよくなるどころか、むしろ悪くなる。
昔から秘法を伝授してもらったら修行しないと早逝するというそうだがそういうことはあると思います。
独部法は在家法なのまさかで早逝するはないとしてもかえって運は悪化する可能性はある。
あれからずいぶん時間が立つのに10万遍すらいかないようなものは全く論外です。
だってどこでもいつでもできるものですのに。
そういう人間に伝授した私の側にも問題となる。
「やらないもの授からない方がいい」といいます。
重い法ほどそう思います。
私もこの間ある重要な秘法伝授のお誘いの話が内内にありましたが。考えてみてもまず絶対にやらないと思うので受けなかった。
重要な秘法だけにそう思いました。
法友に訊いても「ああ、昔からあれはやらないと障礙になるというので・・・」というのでありがたい二度とない機会ではありましたがあえて遠慮いたました。
それも法を尊ぶということと思います。
でも「諸尊法」などの一括伝授は別ですよ。
逆に全部はやるなよと言われるそうです。無理なので。
これは令法久住。つまり法を残し伝えるという主眼があるのでまた別な話です。