今日は毘沙門天様の御縁日でお護摩焚きました。
そうしたら霊感覚のある人が毘沙門様のお祭りなのに「飯縄様」が見えてましたが…なぜなんですか?と言われました。
何故かって?
いやいや困ったもんです。
実は教頭が今日は護摩と聞いて、間違えて毎月18日のお護摩で読む飯縄様の勤行式をやっていたんですね。
アホなこっちゃ!
途中で注意して真言だけは毘沙門様に変えたのですが…前半はそのまま飯縄様の次第で拝んだいたんです。
なので飯縄にしてみれば「おいおい。自分を呼んでいるのか?」と思われて降臨されたんでしょう。
飯縄様、毘沙門様、お騒がせですみませんでした。
こういう思い違いでも感応してくる、面白いと言っては叱られるけど・・・
ずっと以前私が20代のころ、ある禅寺の若いお坊さんとこんな話したことがあります。その人ははじめ神道やっていた。
と言っても神社神道じゃない、もちろん新興宗教でもない。
その神道の教団で炎上祭(神道護摩)をして神様を読んだら、呼び間違えて何やら巨大なウミガメのような海獣が出てきた。
もちろん霊的存在ですが、みなその場の者は認識していて「あ、これはまちがえて讃岐の金毘羅がきてしまった!送りかえせ。送り返せ。」といって騒ぎになったと聞いたことがあります。
神道でも密教でも法にのっとって神々も動くので法の上のあやまちは時に大変なご無礼になる。
厳禁です。けだし法とは怖いものなのです。