学生のころ、天台の説明である本に三ツ輪マークがあって、これが空、仮、中の三諦だと書いてあった。般若経は二諦だから我が部分重なり、その時はなるほどと思った。
バカだからそんな説明に騙されてきた。
騙されたの著者が悪いんじゃない。ヘーゲルだのカントだのと書いてあったので著者は西洋哲学の学者さんだったように思うけど・・・。所詮学者は机上の空論。そんなものでしょ。罪はない。
わかるわけないのだ。
そういうの鵜呑みにする私の方がバカなのだ。
それにこっちは学者先生じゃない。
天台僧のハシクレなんだから止観やらないでそんなの聞いてわかったような顔していちゃちゃダメなんですね。
この三諦円融の図は円融という言葉から出た素人考え。
円融とは相即です。止観やったらすぐわかります。
三ツ輪マークで止観なんかできません。空即仮 仮即中 中即仮
部分重なりなんかじゃない。全部まんまでです。
つまり、三諦円融は境涯の問題なんですね。構造だと考えてしまうから三ツ輪マークになる。哲学だけで完結するものは宗教ではない。
私はその意味で大乗仏教は哲学に非ずと言っております。