この間開眼してあげた仏像を祭ってる女性。友達が祈願があるので拝んであげたいという。
でもその仏像はアンタのうちのためで人さま祈るように開眼していないよと話した。
第一アンタなんかにいきなり御祈祷はできません。
シロウトで何も知らないんだから。
この人、一体御祈祷を何だと思ってるのかな?
私のようなアホでもできるんだから自分にもできると思うのだろうか?
でも本当はアホでもできるんじゃないよ。アホだからできるんです。(笑)
できもしないことを背伸びしてする。泳げないのに溺れる人見て飛び込む。
それがダメだったら、この人もその人に世話になっているから代わりにお金払うので祈祷して欲しいという。
そんなのダメです!何の役にも立たない。
自分がお金出すから受け取れる。
だからただの御祈祷のプレゼントなんかきかない。そんなのば何も受け取れない。心がないもの。御祈祷はプレゼントできません。
人のために祈ってあげたいんでお願いするというのは全部お断り ‼
子供さん、寝たきりの方や動けない御老人、精神を失っている人、子供や犬猫・鳥、動物以外はお断り。
それは間違ってるから。
ひどいですか?
でもそんなの真剣な祈りじゃないからね。「祈っといて~」はしたくない。
そんなんで真言何百編とか唱えるのやだね。
その最大の理由はご本人が結果を受け取れないからダメだというのです。無駄になる。
そこが一番駄目な理由。
本人がきて本人の気持ちで本人のお金で祈願しないと無意味です。
素でないとその人のものにならない。おなかすいたから、私の代わりに食べといてみたいのは無理。
ものじゃないんだから。相手のいない電話の会話みたいなもんです。
そんなら御祈祷頼むのじゃなく自分が手を合わせてあげたらそれでいい。
護摩だって拝む人に信仰ないなら百座たいてもただの焚火や。
100万円で浴油してもそれはゾウさんの顔したけったいな人形にただちゃぷちゃぷ油かけて遊んだのと同じ結果しかない。
だからそれを本人抜きでしてあげたいというのはそれは慈悲じゃない。慈悲はにわかに起こす心だけじゃ慈悲じゃない。
慈悲には計画がいる。助けるなら助けるだけの力と準備をする。
それが本当の慈悲。
可哀そうだから何とかしたいと感情で動く。
準備もない。力もない。
そういうのは慈悲なんかじゃないです。ただの衝動にすぎない。
自分のことをしなさい。他人の課題はしないこと。
おせっかい焼いて人に自分の信仰を勧める人は、ある種の宗教からは歓迎されるのかもね。
うちはへそが曲がってますからそんなのは禁止です。
布教は誰でもしていいとは思わない。するだけの準備がいる。