最近この年になってこのゴウツクバリの私でも生きているのではなく、実は生かされているという感覚がホンのすこーしはわかるようになったようです。
昔は全くそうではなかった。
信仰の先輩(在家の方)から
「僕たちはね、生きているんじゃないんだ。仏に生かされているんだよ。わかる?」っていわれても
「そんなものわかってたまるか!アンタだって住職の受け売りじゃないか。この間、同じこと住職はだれかにいっていたぞ。なにもわかっちゃいないくせに偉そうに言うな。」と思っていた。
「第一、仏自体が一体全体何だか、いまだによくわからないのにそれに生かされているなんていわれても、そんなことわからん。」
そんな憎まれ口をきかないまでも心に思った。
言っておくがそのことに対する反省は今でもみじんもない。
正直にそう思った。
わからないことはわかない。それ以外いいようはない。
だから今この年になってよけいにハッキリ思うこと。
わからないことを分かったように思うことは絶対いらないと思います。
仏教修行の道は長い。
人生も長い。
道元禅師は説法をして弟子に「わかったのか?」と聞いて、皆がわかりましたと言うと激怒したという、「わかるわけない!」と。
道元さまは正しい。
特に若い人の信仰においていいたいこと。
それは分りもしない抹香くさいこと言ってないでやりたいように生きろ。
大いに遊べ、酒も飲むべし、恋もすべしということですね。
ただよく手を合わせろといいたい。慈愛深い人であれと言いたい。
わらないことはわかったふりしなくていい。
世間の修行もろくにしないで何がわかるんでしょう。
師匠が私が21歳で得度したときに言われた言葉です。
「さあ、あんたはね、これからは仏道でなく世間の勉強するんだよ。」