昨日は板橋方面に用があって、話に訊いていた「縁切り榎」にいってみました。
チャズ先生の話では都内屈指の縁切り霊場と言います。
中仙道仲町宿商店街のはずれにある祠です。榎はもう三代目だそうです。
いっぱいぎっしり絵馬が掛けてある。掛ける余地ない。
それでも何組かの人が一生懸命お参りしていました。
絵馬は隣のお蕎麦屋さん「長寿庵」さんにおいてます。(千円)
印象的だったのは絵馬を何げなく見ようとする連れの女性に「他人の祈願は見たらだめよ!自分のはかなわないわよ。」と注意する中年の女性がいました。
これは霊的に大事なこと。
第一、好奇心で人の祈願なんか見るのは悪趣味です。
こういう場所ですし、心配する人もいるでしょうから写真も遠慮しました
祭神は第六天というから欲界の頂に住む他化自在天です。
ハッキリ言うと魔王です。
面白いのは参拝おわって帰ろうとして元の場所についいたのだけど駅がない!
調べたらっと前の方です。道も似た街角が多いので勘違いなんでしょうけど・・・電車も上りに乗るところを高島平方面祈ってしまったりカンが狂いっぱなし。
チャズ先生もいったらお参りの後。帰り路が空間がゆがんだように妙な感じになったというけどそうですね。
さすがは魔王様!
まあ、でもこれは魔界にアクセスできた証拠だからいいかな。
強烈な鬼神はそういうもんです。(笑)
私は切る縁もないけど…でも切れるのは自分の悪い習慣や因縁でもいいそうです。
せっかくだし、私は性格きついので縁切り絵馬に「瞋恚、口舌」と書いておきました。
生駒の湛海さまの伝記で聖天様が出てきて「智証大師は私を摩醯首羅天の部類に入れているが間違いだ」というくだりがある。
でもそういうものは私は管見にして知りません。
これはひょっとすると摩醯首羅天でなく他化自在天の間違いではないかなと思う。
摩醯首羅天は大自在天と言いますから他化自在天と混同しやすい。
というのは三井流の聖天次第には普通ある大自在天真言はないのです。
代わりに他化自在天真言を唱えます。
これは余流にみないことです。
次第を数本見たがそこは皆同じ。
それじゃ悪魔ではないのか?と思うでしょう。
他化自在天は他人の楽しみを自分の楽しみにするという。
この他人の楽しみを奪ってそれを楽しむならそれは悪魔ですが、曼荼羅の聖衆としての他化自在天は他人の楽しむ姿を喜びそのままに自分の楽しみとして受けとる善神です。
この喜ぶというのがか歓喜天と言われる聖天と混同したのもしれません。
因みに真言宗で主要経典である理趣経(理趣分ではないです)は欲界頂の他化自在天の魔王宮で説かれたお経です。実にそこが煩悩即菩提にふさわしい。
もし他化自在天拝むなら理趣経がいいかもしれないですね。
明治になって第六天の多くは神仏分離令によりほとんどは神社となり天神七代の六代に当たるカシコネノミコトやオモタルノミコトに変えられています。
六代目なので第六天かい?
笑うね。意味ない。