「草木成仏」というのは日本独自の思想のようです。
わが師などは庭木の手入れをしながら「草木が一番成仏している」と笑って言っていました。
わが師は「素直」ということを悟りに近い概念でとらえていました。
「桜の木は素直だ。春に花を咲かせ、夏には茂り、秋には葉を染め、冬には裸の幹に戻って春を待つ。」
そういう風に言われた。
時に従いということか。今、毎月、飯田先生にご教示を頂いている「義理易」でも四時(しいじ)を知ること。つまり時を知ることを易の基本的な生き方と習っています。
易では時中(じちゅう)という。
今思うとほぼ同じ事かと思う。人生にもいろいろなサイクルで季節は巡る。
「草木成仏」
これは法華経の「諸法実相」や大般涅槃経の「山川草木国土悉皆成仏」の思想がベースになって日本ではそういう概念がある。まあ、中国の禪風にも似たものがあるけどはっきりしているのは日本。
同じ大乗国の仏教でもチベット仏教あたりではそう言わないらしい。
有情と言って「知・情・意」の働きのある身の上に至って初めて悟りへの道を歩ける
さりとて草木の方が人間より境涯が上ではあるまい。
草木の悟りは自然法爾。
ただし、そこには個々の悟りの智慧はない。
私たちには智慧がある。
理の成仏を言うならば草木も国土もそう。禽獣もそう。
しかし智の成仏はまた違う。
人間がすべき成仏はそれです。
智の成仏あってこそ仏の代わりに働けるんですね。
しかしそれも理あってこその智ですね。
密教で言うなら理智不二・金胎一致ということになります。
天台法華で言うなら本迹一致というべきですかね。
ただし、日蓮さんなんかは本門重く見たのは、具体的に大通結縁の上求菩提のはたらきあって迹門の諸法実相が初めてわかるからでしょうか。
諸法実相。理具の成仏は三葉虫や恐竜しかいない頃から同じですが、それを知るのは現世においては人間の智慧のみです。