十一面観音が一番近い観音なら、私にとって日常あまり拝んでいない観音としては千手観音があります。
「蓮華王」と言って観音の持つパワーを最大限に面に出した観音様。
私にとってはどちらかといえば諏訪明神下社の本地仏ですね。
だから外宮にいってオンバサラダルマキリと唱えます。
十一面様が山なら。千手様は水のイメージ。下社ヤサカトメノミコトは諏訪湖の先住者、もちろん龍神です。
諏訪の御柱
結構仏像はあるんですが木彫りの千手さんは拙寺にない。
「先生、千手観音様は置かないのですか?」と聞かれたことある。
小さいけどいろんな仏像があるうちには珍しくない。
師匠が昔「十一面様より千手様の方が顔も手も沢山あるからもっとパワーすごいのでは?」という馬鹿な質問したら「千手観音はあそこまで具現化したらかえって特長が見えにくい。」といっていたのもどこか心にあるのかもしれません。
何でもござれでは究極は特化していないことにもなる。
それはいいのですが、それなら正観音でもそこは同じだなあと思う。
私にとって、観音パワー全開の千手様をお迎えしたら、十一面様と立ち位置でバランス取れない感じがありました。
もちろん、これ、あくまで私の気持ちの問題で千手様の問題で全然ない。
でも最近思うのは十一面様の十種勝利のご利益はあくまで人間の福祉の基本なんだなと思う。
いってみれば病気や災難で早く死なないというのがほとんど。
金持ちになるとか偉くなるとかはあまり顕著じゃない。
生きてることの基本。十一面様。だから変化観音としては十一面様は最もシンプルですね。
それに対し千手千眼十一面の千手様は良い意味で華やかな平安時代の貴族仏教のにおいがする。
あらゆる文化のにおい。人間の望むすべてを手にされている観音様。
生活や健康だけでなくそこから展開して、色々その先のありとあらゆる望みをかなえてくれる。
千手観音の秘法にはオシドリの羽でお守り作る敬愛法や厄除けの一宿五遍千手経法がある。これは仁王経にも勝る秘法といいます。
とはいえ・・・そうした人間の文化も経済生活や人間社会もやはり幸せの基本は無事息災。それはシンプルな十一面様みて思うことです。
拙寺の諏訪明神祠