昔、内弟子がいたころ。
「先生、庭に河童みたいな人が…」というので行ってみると、チャイムも押さないで庭に不思議な女性がいる。
河童ではないようだ(笑) 多少そういう雰囲気はあるが・・・
「何の御用でしょうか?」というと
唐突に「ここに住みたいんです…」という。
何かの間違いだろうと聞き返すと「ここにおいてもらいたい。」とのこと。
聞けば住む場所がないわけでないが経済面で困っているという。
そんなこと言われてもこちらも困る。
「うちは修行者はおいていますが、一般の方は入っていただけません。修泊施設ではないし。」というと・・・多少は修行したい気はあるらしい。
だが禅寺ではないからいきなり来て旦過詰めみたいなこと言われても無理です。
もっとも寺が大きいならそういう食客がいても面白いが勿論人による。
「はあ・・・」無表情に立ち尽くしていたが…しばらくしていってみたら消えていた。
気の毒だが河童は帰っていったようです。
なかには「寺なんだからしばらく置いてくれ」というずうっずうしい人もいる。
就職が決まってそこに住み込むのが10日ほど先なので住むところがないという。
いままでどうしてたの?行くところない割にはかばんも荷物も下げていない。
「ここはいろいろな人が出入りするので、身元がよくわから無い人はおけません。行くところながいなら役場に一緒に掛け合いに行ってあげますから待ちなさい。」といったら「もう、ことわられたんだ!結構だ」と怒って帰った。
ずっと歩いてここまで来たのに・・・というけど靴はきれいだった。
いろんな人がいる。
中には「宗教は人を助けるもんだろ!」的に言ってくる人もいますが、宗教はダイレクトな福祉が第一目的ではなく布教が第一です。
そこは少し違う。
助けるにしてもできることとできないことはあるしね。
以前、ほめてるのかバカにしてるのか、参拝にやってきた女性が「私、立派で豪華なお寺は嫌いなんです。お金儲けしてるんだと思うから。ここはそうじゃないからいいなあと思うんです。そんなお金があるなら困っているひとにあげたらいいのにねえ。」というので
「あんた、かんちがいしてます。困った人に金品を施す物理的救済をするのはいいことだが寺の使命じゃない。それは福祉団体がすることです。
うちが豪華な寺じゃないのは、もともと寺でもなんでもなくただの在家出身の人間が運営していて一般民家を寺にあてているからで、さりとて荘厳にかけるお金もないし、ほかにはいかなる理由もない。
たとえ大きなお寺に縁づいても堂塔伽藍の管理をほっておいて、その充当金をひとにあげるようなことは私だってしませんよ。」
といったら呆れて帰った。