金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

観音信仰あれこれ 6 不空羂索観音

不空羂索観音はあまり祀られていませんね。

天台方の六観音で人道の主宰とされますが、ここは真言方では准胝観音になります。

天台では准胝は佛母ですから准胝観音とは言わない。

 

不空羂索観音は20種のご利益を歌うので十一面観音の10種勝利に倍するとよく言いますが、より具体的にしただけで不空羂索さんの方が優れた観音とかいう意味ではないと思います。

以下ご利益を経本から抜きだすと・・・

一者身無眾病安隱快樂。

二者由先業力雖有病生而速除愈。

三者身體細軟皮膚光澤面目鮮明。

四者眾人愛敬。

五者密護諸根。

六者多獲財寶隨意受用。

七者所得財寶王賊水火不能侵損。

八者所作事業皆善成辦。

九者所有種植不畏惡龍霜雹風雨。

十者若有稼穡災橫所侵。以此呪心呪灰或水經七遍已。於其田中八方結界上下散灑。災
橫爾時皆即除滅。

十一者不為一切暴惡鬼神羅剎斯等吸奪精氣。

十二者一切有情見聞歡喜。愛樂尊重常無厭足。

十三者常不怖畏一切怨讐。

十四者設有怨讐速自消滅。

十五者人非人等不能侵害。

十六者厭魅呪詛蠱道不著。

十七者煩惱纏垢不數現行。

十八者刀毒水火不能傷害。

十九者諸天善神常隨衛護。

二十者生生不離慈悲喜捨。彼得如是二十勝利。

復獲八法。何等為八。

一者臨命終時見觀自在菩薩。作苾芻像來現其前
歡喜慰喻。

二者安隱命終無諸苦痛。

三者將捨命時。眼不反戴口無欠呿。手絕紛擾足離舒捲。不泄便穢無顛墜床。

四者將捨命時住正憶念意無亂想。

五者當命終時不覆面死。

六者將捨命時得無盡辯。

七者既捨命已隨願往生諸佛淨國。

八者常與善友不相捨離

確かにいいこと尽くしですね。

しかるにものの本にはこのくだりをもって十一面様よりはるかにすごいご利益がある観音様などと書いているのは疑問に思う。

例えば第三願の不空羂索観音を祈ると皮膚が美しくなるという。転じて美人になるというのですが…いくら観音様でも美容整形したように変わるわけではないでしょう。

健康美にあふれる。そういうことなら病を寄せ付けないという十一面観音様でも同じことです。

千手観音や不空羂索観音の方が多くのご利益があるのになぜ十一面観音を選んだのですか?と聞く人もいた。

一知半解とはこのことだと思います。

事細かにご利益を載せるなら十一面観音の儀軌にも山ほど書いてある。

ましてや十一面観音は私にしてみれば。私が選んだ観音ではなく、私を選んで呼んでくれた観音様なのです。

そういうと特別で偉そうですがそうではなく、私は修羅の境涯にある人間として救済の対象だったのだと思う。

ただ一縷の仏縁に救われたと思っています。

 

どっちが上とかではなく、それよりこの観音様には注目したい三つのご利益がある。

それは一つには叶い難いことに祈るという。

不空ですから「空しからじ」で難しい希望を必ず叶えるという。これは阿娑縛抄にそうある。

それからいま一つは上せられない。つまり自分の上から命令されない。

転じて最高位にある意味。藤原氏が好んでこの仏を氏神の春日明神の御本地にしたわけですね。世間で拝まれない理由の一つはこの藤原氏の独占があるという。

春日明神といえば鹿がお使い、この観音は鹿被衣観音といい、鹿の皮を身に着けます。勿論殺してつけるのではなく鹿の供養のためでしょう。

 

もともとはシヴァと関係深く、大自在天の姿の観音という。

でも大自在天は腰にまとうのはヒョウの皮です。このヒョウのポチポチが鹿の子柄と受け取られたのでしょうか。

最期は逆縁を転じる。たとえこの観音を信じないで、観音を罵り、乱暴狼藉を働いても深い仏縁ができてしまうということ。

つまり逆縁の観音様ですね。

ほかにも喘息などを止める力があり。この真言で祈ったところ一発で止まった。

すごいね。

そういう時は矢張り儀軌を見てどんな本誓があるのか見ておくのは密教行者の心得だと思います。

f:id:konjichoin:20191031184311j:plain

諏訪上社にて

 

国譲り神話で出雲の国から春日明神とも鹿島明神ともされるタケミカズチノミコトからタケミナカタノミコトは追い払われてしまった。

そして信州の諏訪湖から出るなと厳命される。だから神無月でも故郷の出雲には帰れない諏訪明神。

 

諏訪明神には千鹿頭祭りと言ってずらっと鹿の首を切って並べるすさまじいお祀りがある。(今は剥製でしているらしい)

鹿を食べていいという「鹿食免」という免許も出していた。

いくら狩猟神でもここまで鹿につらく当たることはないだろう。(笑)

でも実際は鹿を通じて負けたタケミナカタを奉じる一族が鹿島大明神を調伏することから始まったことだったのかもしれません。

 

実は十一面観音の儀軌によると不空羂索と馬頭観音と十一面観音は深い関係にあります。

いづれも十一面観音曼荼羅では重要な位置をしめる。

筑紫の観世音寺に行くと馬頭、不空羂索、十一面の巨像が拝されますが、巨大なこれらの仏像は一種の羯磨曼荼羅だったのでなかったかと思います。