聖天様の供物は盛りよくしないといけないという。
量より見た目、小さな器に盛ったほうがいい。
豊かに見えるから。
量多くとも大きな器にフランス料理みたいにちょこっと盛るのはいけないといいます。
だから毎日供する量は少なくても大きく見せる。
ままごとの器みたいになってもいい。
絶対量の問題でない。
ああ、たくさんあるなあというイメージ。
施餓鬼も一緒。少しでも七粒遍十方とイメージする。
日々密供も、○○雲海といって法界に満ち満ちている有様を思う。
それって我々の思い込みだけでする行為でしょう、だから相手はやはり空想の産物なんだねと思う人もいますが・・・
そういうお方はてんでわかっていない。
こういうイメージを通して実は聖天様も餓鬼もお供物を召し上がる。
直接食べるんじゃないんだね。
だからイメージは豊かに持たないと供養はうまくいきません。
ままごとの御膳でも「アーっ、おいしかった!もう、満腹」ってやったでしょう。子どもの頃。
それが大事なんです。