尊天を信頼する。
本当の信仰はこれだと思う。
いつまでも小さな子供のようにアレが欲しい。今度はこれが欲しい。
これでは進歩がない。
貴方は一生そうやって尊天にものをせがんでいって・・・それを信仰だと思いますか?
求めるものには与えられないものも与えられるものもある。
時間がいるもの、即かなうものもある。
だが自分と尊天との関係でかなえられるべきはかなっているというのが長年信仰してきたものとしては心得るべきことだと思うのです。
この祈りを叶えてくれるのかどうかという期待と不安の心する信仰でなく、尊天は私に必要なものを知っていて与えるべきはすべて与えてくださるのだという大安心と信頼こそが行きつくべき信仰の形なのではないのかと思います。
だから尊天の御声を聴くべきですね。
それは自分が来しかたを眺めればおのずと聞こえてくるのではないでしょうか?