金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

信仰の薫習

真言宗の故今井幹雄師が自著に書いていらっしゃるが「何の神仏でも10年は付き合わないと本当のご利益はない」とさる高僧に言われて「そんな、馬鹿な・・・」と思ったが、でも年数をえてみたらやはりそうだと実感して思ったそうです。

今井先生にはその時にその老僧から死後もらってくれといわれて受け継いだというた荼吉尼天像を、六大新報社を大森先生とともに訪ねた折に親しく拝ませて頂いた。

ガラスの宝珠の天覆に入った切金の美しい小像でした。

その老僧はこの天尊の信仰ひとつでお寺を復興したと言います。

 

人の付き合いもそうだが神仏も同じ。

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信仰には薫習というものが必要です。

薫習は香の香りが衣になじむように多年の繰り返しで初めて生まれるもの。

最初のご利益は縁によによってって頂けるけど、本当の人生のご加護を頂けるにはこれがないといけない。

あっちの神様、こっちの仏さまとご利益ジプシーしてたら永遠に分らない境涯です。

 

チベットでは諸尊法の一括伝授というのは聞かない。なぜならみなそれぞれの得意の本尊があり、その阿闍梨さんからその法を受ける。

だから文殊法は誰。大黒絵天受けるならば誰と大体あるそうです。

それがインド密教由来の本来の在り方かもしれない。

拝んだこともない法を伝授して、受者に細かく尋ねられてもわからないものね。

おそらく一括伝授は中国で諸尊法の伝承を絶やさないようまとめて伝法するようになったのではないでしょうか。