久しぶりに風狐様のおおせ。
朝座禅しながら
浄菩提心 一切衆生のうちにひそむ悟りを求める心とは何か?
どんな生き物にも悟りを求める心はあるのか?
アリやカタツムリにも?
それがあるというのだろうか?
そんなことを思っていたら風狐様が
「浄菩提心は万物の生きる心・うまれいずる心・宇宙の中にありてあるための心
いのちを別にして存するものではない。
苦ならず。無常ならず。無我ならず。不浄ならず。
常楽我浄とはすなわち浄菩提心のことである。
大日経に菩提心を因となすとあるを知らないか。
存在の因を菩提心と名づく
空性や無はその性質であって実相ではない。
法華の寿量品に「衆生劫尽きて大火に焼かるも、我がこの土は安穏にして天人常に充満し、園林諸々の堂閣種々の宝を以て荘厳せり」とは浄菩提心のことだ。
現にこの大地に天から星が降って何度も火の海になったと言うではないか?
総て死に絶えたように見えても生まれ出るいのち。
それは浄菩提心あるゆえである。
それゆえお前も世にあることを喜ぶがいい。
そこに生きてあることは浄菩提心あることと一如である。
故にアリにもカタツムリにもそれは存する。
汝ごときの世知の頭で及ぶものに非ず。」といわれました。