最近忙しいので…といってだんだんお参りに来なくなる人。
小僧のころから一杯見てきましたが・・・忙しい中にもお参りを続ける人とは大きく末は違っていく。これは確かです。
時間が合わないからお祀りに来れないでもお参りにだけくればいいのにと思う。
アマゾンのようにお札が届いて振り込む、それだけじゃ信仰としては不十分です。
足を運んでこそカルマも違ってくる。
世の中は時間と空間でできている。
だから、神仏に時間と空間をつかいなさいということです。
時空を伴わないものは力になりません。
それでちがってくる。それがお参り。
辞めたくて足が遠のいているなら仕方ないけど・・・本当に仕事や商売で忙しいならそれはご利益ですから来るべきなんですが・・・
そうやって大事が勃発したら駆け込んでくる人を大福生寺で嫌というほど見てきましたが、そういう時に限って白戸師匠はつかまらない。
駐在布教だとか関西出張でいない。
それで結局、ここぞという時に拝んでもらえない結果になる。
信仰は深まるほどにだらけるのではなく筋目通さないといけないと思う。
要は心でするもの。祈願料やお布施を払っていればそれだけでつながっているわけではない。
調子のいい感じの人ほどそうなりやすい。はじめのうちだけ入れ込んでくる。
だから調子のいい人、私は基本的にキライです。急な派手な信仰なんか役に立ちません。
信仰はコトコト煮詰めるようにして本物になる。
で、この人しまいはどうなるか見れば大体わかる。口でいわないけどね。
だからあまり講員にもしたくないんで、そっけなくして、講員になんとなくならないように、ならないように運ぶんですが・・・どうせ続きゃしないから。ならないほうが本人のためです。
最初だけの調子よさ。人間はそれで通用するかもしれないけど神仏には無理ですね。