金翅鳥院のブログ

天台寺門宗非法人の祈祷寺院です。

自分のことを第一に考えちゃダメですか。

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自分のことを考えずに人のことだけ考える。

むかしはそれが偉いと思っていましたが今は全然そう思わない。

 

え、いけませんか?

じゃあ、あんたはそうしてるの?

そんなことといえる人はいませんよ。

いるとしたらなんにもわかってない人です。そんなの大ウソです。

禅宗的に言えば20棒もくらわすところです。

なぜなら、そんなこというそいつは本当にこの問題を真剣に究極まで考えたことない奴だからだ!

だれでも一番かわいいのは自分。一番大事なのは自分。

いいやそんなことない。自分はどうでも子供が大事という人もいる。

 

それはそうだと思う。嘘じゃないよね。

でもそれは自分の子供だからでしょ。自分の延長。よその子供じゃない。

よその子供も自分より大事という人は人間という種族まで枠が拡大しているね。そういう人はいると思う。

でもそれは他人の子供であってもその人の中では自分と遊離していない証拠だ。

そういう人が立派な人。偉人です。でも自分は厳然としてある。

それもおもいきり強固な自分が。

自分がないのではなく拡大しているんです。

 中が空のドーナツ状の偉人はいない。

偉人は皆自分をしっかり持っている。だからこれだと思ったら人がどう言おうが、思おうが関係ないのが偉人の要素です。自我が弱い人は自分のうちに何も持たず他人の評価で生きてるからそんなの耐えられない。

ネットの悪口を観て自殺するような偉人はいない。

 

この間なくなられたアフガンの中村医師は偉人だと思います。

この人だってあんな戦乱の国にいたけど・・・自分なんかどうでもいいからいたわけじゃないよね。アフガンの人の命が自分の命より大事だとかじゃない。

全く逆だ。自分の「命」ということの尊さがわかるからこそです。

自分がやるべきこととしてその道を選んだ。彼は自分が一番輝ける場としてアフガンを選んだと思います。

あくまで自分です。キーポイントは。

つまり自分が大事だから人も大事なんです。

自分が大事だから自分さえよければいいというのは愚か者の考え。

群生動物として失格

 

それは自分を滅ぼす道。

人間は人様あっての存在。

それはお互いにそう。

 

大昔。大福生寺の信者Hさんと遍路にいった。

途中のお宿で「歩いてるの?えらいわね。なにか願があるんですか?」と有るご婦人

Hさんは「ええ。でも自分の為じゃないんです。人のためでなきゃこんな苦労はできないですよ。」と答えました。

「ま~偉いわあ!」と相手の御婦人はうっとり。

 

私は若いうちから元来へそが曲がって困った人間でこういうの聞きますと「ってやんでえ」とむしずがはしります。

私はその人に同じこと聞かれましたが「え、私ですか。この遍路は自分のためですよ。自分の修行で歩いてるだけですもの。人のために歩いてる?エーッツ。とんでもない!」といって、その方には呆れられたが

…40年たった今でもまったく同じ答えをすると思います。

困ったものですな。(笑)

誤解を恐れずにいますが・・・私どこまでも自分のために生きます。だからそこで何があってもひとのせいになんかしない。