神仏は光の流れということを書いたら「自分自身が神仏の流れに入っているかどうかわからない。どうしたらはいれるのか?」という質問がありました。
誰でも時々入っていることはあるんですね。フロー現象とか言ってるのもそれです。
物事の流れがスムーズに展開していく。
もちろん川だって紆余曲折があるから一見うまくいかないときもあるようですが、どんな曲がりくねった川でも最後は大海原にたどり着く。
私は神仏は光の流れだと思っていますが、それは拝んでいて気が付いただけです。
最初から光の流れだと思って拝み始めたわけではない。
私自身は特殊なことはなにもしていません。
でも仮にもっとリアルにしたいなら・・・こんなイメージでしょうか。
まず光の川をイメージしたらいい。
観音様でも、お不動さまでもいい。
聖天様でもいい。どれも光の川です。
その川の流れに入っていってください。
どうですか。
上手な感じ方は川の流れと一つになる。
自分と川が一つになる。
革の中に自分が突っ立っているイメージではダメです。
それじゃ変容がない。
だから自分も水に変容しないとダメです。
川に放り込まれて「ああ。自分も水だったんだ。」あるいは「光だった」とわかる。
そんな感じ。
同じ水になって安心しないといけない・
変容の邪魔は不安。不安の源は恐れですから。
どうしても水になれないならそれでも全然かまわない、船に乗って流れに身を任せてください。身を任せる。梶もオールもいらない。あなたは乗っているだけ。
こういうイメージは一瞬よぎるだけです。それでいいんです。
うまくよぎればシャッターチャンスみたいなものです。
長々シャッターを押し続ける必要などありません。
座禅のようなものと違い、イメージ瞑想は長いほうがいいというのは勘違いです。
強く残ればいい。長々やるのは残っていないという疑いです。そんのはいらない。
密教なんか長々やる印や観想なんかほとんどないです。