お医者さまで准胝独部法の修行者、この方は地蔵信仰もある方の霊験談です。
「羽田先生
お世話になっております。
明日は、よろしくお願いいたします。
さて、不思議なことがありましたので、ご報告させていただきます。
外来の患者さんがかなり調子悪く、今朝も酔っぱらって
「もう薬なんて飲まない、外来も行かない」と電話をしてきました。
家族も関わり拒否で、入院をさせたくてもできないような状況でした。
これは、成るようにしか成らないなと思い、せめて大事に至らないようにと、昼休みに准胝尊と地蔵菩薩の真言を唱えておりました。
すると、午後になり自分から「具合が悪いので入院させてほしい」と来院されました。
直前の様子から想像できないような穏やかさで、不思議なこともあるものだと思い、仏様のご加護に感謝する次第です。」
救われた患者さまも少なからず仏縁があるのでしょう。
わずかな時間を見つけて患者様のために祈る。医療に生きる人の信仰と捨て大変立派なことです。
私ども行者も普通は医院や医療機関の治療が功を奏すべく祈るものです。
お施主様やそのご家族さまが医者や投薬などを通して回復されることを祈るもので、何か奇天烈なことを祈るものでは決してないのです。
よほど不思議なことでもないとご加護ではないと思うような人は信仰者とは言えません。信仰は日常の中に神仏の働きを見て感謝する生き方です。
回復すれば医療にも医者にも感謝し、神仏にも感謝する。そういう生き方です。
一々これは霊験かそうでないかなどと判じるものではありません。
いかにも奇跡ということも、縁として医療あり、医師あり。薬あり。周囲の人の愛念ありで決してそれだけで成立つわけではないのです。