むつかしい祈願はしてほしいけど「講員は勘弁してほしい」というかた。
いいですとも!ならないでください。
理由はいろいろあるよね。
宗教自体がなんとなくいやだとか。
自分は自分だからあくまで何でも自分流で行く。
そういう団体に属して何か同じ教義を信奉するみたいのがバカみたいで嫌だとか。
お金出るから嫌とか。
知り合いの手前なんか信じているみたいの迷信家みたいでいやだとか。
恥ずかしいとか・・・。
ホントは別な宗教しているので具合悪いとか・・・
講に入っても祈願叶わなかったら困る。
願いが叶えば宗教なんかに用はないという人もある。
いずれもOK、あなたの生き方はあなたの勝手です
うちはそういう方に信徒になって欲しいなんて全く思わない。
ご本人がなりたいといってもこっちからお断り。
この人は無理!というのもある。
うちのやりたいことはきちんと仏教徒としての信徒さんをつくりたいんですね。
それが本来の仏教祈祷の在り方だと思うからです。
だから入講したくないのは全く問題ない。
だけどそういう方のために難しい祈願を引き受ける気は毛頭ない。
お金ですか?決してお金もちではないけどね。
そういう方からお金をうわのせとかで問題スルー。それで祈願したいとかは全く思いません。
私の師匠のところへ誰もが名前を知る大手の会社の方がきて一回でいいからすぐ浴油してくれと言ったそうです。
でも師僧は当然そんなのやりません。
「そういうもんではない。」と言って引き取ってもらったそうです。
私は私です。あんたじゃない。だから何も強要はしない。
だけど、こちらも尊重してもらわないと困るんですね。
そこはお互い様ですから。