珍しく死者についてながく教えてもらいました。
霊狐あづさ 「幽霊などで出る死霊は多くは「念の残り香」【いわゆる残留思念のことか】だ。そもそも霊媒にかかる霊さえも多くはこれである。この世との関係でしかかかってこない。霊媒では本当にあの世のことはわからぬ。」
私 「霊そのものはどうなるのでしょう。」
あづさ「 肉体が最初に分解する。次に心が分解する。肉体の残存物が骨なら、精神の残存物がこの念の残り香だ。霊そのものは宙陰に入って転生の準備になる。」
わたし 「供養は霊に届きますか?」
あづさ 「それは届く。天台坊主の言う一念三千とはそういう理法を言うのだろうが?」
わたし「誰の供養かわかるんでしょうか?」
あづさ「さあ、時間たつほどわからないだろうね。ただそういう供養は霊にとってうしろだてになる。念の残り香も同時にそれで奇麗に処理されることもある。忌明けや年季法要は念の残り香を払しょくするのに大きな力となるからな。」
私 「年季とかそういうのやらない宗派がありますけどどうでしょうね。」
あづさ 「そういう【決定往生の】信仰を死んでいったもの自身が固くもっていれば残り香は少ないだろうね。この世に未練は残さなければいいわけだ。
でも拝む坊主がそういう宗派だからといって死者がどうなるものでもないぞ。そこは死んだ者の側の気持ちだけだな。」
私 「転生しても霊媒にかかりますか。」
あづさ 「お前は誰の霊を呼ぶかだな。もうそ奴は転生したならあの世にいないんだろう。転生すれば別な存在だ。そういう場合掛かってくるのは念の残り香だけだ。
・・・だから大昔の人物を呼べばその当時を語るだろうが、そ奴の今現在は語れぬ。しゃべっているのは残り香なのだ。おまえたちが霊とよぶものの多くはそれだ。だからしゃべる内容は同じことの繰り返しだ。霊媒の脳を通しているから多少の変化はあるだろうがな。録音の再生のような物よ。」 ,
私 「あなたはどうです?」
あづさ 「私は死んだ狐の残り香などではないからな。そういうものと一緒にするでない。」